面倒くせえな
中学生まで本を読むことが好きではなかった。
周りには読書より楽しい世界が広がっていて、身体を動かしていれば充実した一日が過ぎて行った。
本に憑かれたのは高校生になってからだ。
入学と同時に学校が詰まらなくなり、唯一の楽しみは油絵を描くことだけ。
絵を描くことは幼い頃から好きで画家になりたいという夢もあったが、当然自立できる才能はなかった。
少年期に誰もが通るように、徐々に自分というものを認識しながら、満たされない日々を繰り返していたが、
通学バスの乗り換えが沼津駅で、当時は駅前ビルに大きな書店があり、乗り換えの空き時間にその書店で時間潰しをした。
そのうち本を買い求め、本との付き合いが始まったようだ。
初めて購入した本は柴田錬三郎の『眠狂四朗無頼控』7巻で、昔の時代小説だから結構難しい漢字が多く、
そのあたりは勘で読んだり、読み飛ばしストーリーだけを楽しんだ。
「柴錬」は確か慶応の支那文学科卒だったと思うが、それ故か高校生には難しい漢字が多く、流れるような読書という訳にはいかなかった。
主人公の生い立ちから来る虚無的な生き様は、『大菩薩峠』の主人公にも似ているが、
当時流行ったニヒルな生き様という文句にも惹かれたのかもしれない。
最近、この本を読み直そうかと思っている。本だけは物持ちが良いからまだ書棚に残っているはずだ。
読書が高尚な趣味とも思わないし、何かの役(例えば感受性を豊かにするとか、知識を深める等々)に立つともあまり思わない。
それほど高尚な本を読まなかったこともあるし、濫読はしたが精読とは全く無縁だったから、私の場合「読書の効」はない。
多くの大切なことは、本よりも人間関係の中で学んだと思う。
何かの折に数行の文章からいくらかの啓示を受けたり、苦しい状態を救われたこともあるが、
振り返ってみると、影響を受けた書物や作家も多くは浮かばない。
それでも少しは影響を受けたであろう作家のひとりに吉本隆明がいる。
貧弱な読者の御多分に漏れず、この作家の思想の一割ほども理解できずこの齢になったが、いまでも読む作家のひとりだ。
しかし、この作家の著作を理解しようと思うことはとうに諦めていて、ただ文字を追っているだけ。
この作家の詩的な文体で書かれた思想書(と私は思っている)は、感性の鈍い私では理解不能と思っているのだが、
作家が老いに入り、かつ視力が衰えてからの対談集やインタビュー集は多少なりとも理解できる。
話体の方が硬質な文体より理解しやすいというだけのことだが・・。
何時頃からか不明だが、この作家が時々「面倒くせえな」という言葉を口にし始めた。
膨大な思想書を読み込み、咀嚼、血肉化し、その上に自らの体験を取り込んで新しい思想の1ページを緻密な論理で打ち立てた作家が、
「面倒くせえな」という言葉を吐いたことに何度か驚いた経験がある。
困難な思想的営為を、殆ど孤立無援の中で進めてきたひとが、我々と同じ感情を持つとも思えなかったからだ。
老いが言わせた言葉なのか、それとも長い思想的営為の中で、己の到達点に達したと判断したからなのか不明だが、
この作家が「面倒くせえな」と言った文章に接してから、どうもこの言葉が私の頭にこびりついたようで、
最近は少し煩雑な事柄に出会うと、いつもこの言葉が頭にリフレインしてくる。
面倒なことを面倒と思っても、思うことが少しも解決の足しにならないのは当たり前だ。
だったら面倒と思わなければいいのだが、条件反射のように「面倒くせえな」と口を継いで出るのは、私の老いが進行しているからだろうか。
いま思うとまずい言葉に出会ったとも感じるが、今更どうしようもない。
まずい出会いはうまく別れるのが一番だが、私の場合うまい別れがうまくない。
高校生の時、太宰の『トカトントン」という短編を読んだ。
主人公の耳にふとした折に「トカトントン」という音が聞こえるという手紙形式の短編で、
私にもそうした資質があるかもしれないとひどく怖かったものだが、
最近の私の「面倒くせえな」はどうもこの小説と似たような感じだ。
面倒だと思っても性格的に逃げ出すことも嫌だし、本当に必要なことは面倒であっても逃げ切れるケースが少ないと思うしか途はないかな。
それとも、自分の中にある到達点は、もう少し先だと考えようか。
「面倒くせえな」という反応が老いによるものだとしても、身体の老いは見えるが、
精神の老いは良く見えないから、どうやってチェックしたらいいものやら・・・。
まったく老いに向かって生きていくことは面倒だ.
↓白化粧瓶
何となく花は合いそうだが、
作品としてはまったく面白味がない。