主のいない庭

お知らせ

実家の老梅に花が咲いた。(写真)

周辺で見かける梅はもう満開で、早いものは散り始めているほどだが、実家の梅は種類が違うのか、それとも老木だからか、

花が咲く時期、花の数も他よりも遅くて少ない。

この梅は私が物心ついた時から実家にあったから、100年近い歳月を今の場所で過ごしてきたはずだ。

 

 

幹の数か所に樹齢(老い)から来ると思われる空洞がいくつかあり、木肌にコケや草をまといながら生きている。(写真)

育成環境があまり良くないので植木屋に移植を打診したが、老木すぎて無理だということだった。

今思うとこの梅は育った場所など、最初からハンディーを背負っていたと思うが、

それでも「置かれた場所で咲きなさい」という箴言の如く命脈を保っている。

 

 

忍耐の歳月を重ねたものだけが持つ品格や奥行きがあると思うが、こればかりは見る側の琴線による。

私が死ぬ時まで生き永らえて欲しいが、もちろん判断はつかない。

世の順序として、私が「見送り役」を果たさなければならない人が何人かいるが、この梅も加えておこうか。

思う程には順序どおりいかないのも世の常だが。

 

 

死ぬということは、当事者にとって、時が止まって不当な「永遠の不在」におかれるという気がする。

生きているものは、時の流れの中で「不在」を少しづつ、実に身勝手に埋めていく。

私には、偉大な哲人のように「我が道を行け。そして彼らの言うにまかせよ」と言えるほどの矜持もないから、

死ぬことが不当だと思う核心は、「彼らの言うにまかせ」て弁明も抗議も抵抗もまったく出来ないからだと思っている。

 

さて、

ナナが死んで4か月余たつが、生前ナナが必死で守り続けた実家の庭が様変わりした。

かつて、向こう気の強さだけで必死に侵入者を防いでいたナナの庭も、今は近所の猫たちの遊び場に変わった。

ナナは毛長の洋猫の血が半分ほど混じっているからか、身体つきは大きく見えたが、成猫の割には小柄だった。

家内が残したうちの猫の半分ほどの大きさ(重さ)しかなく、庭に侵入する他家の猫に比べても大人と子供位の体格差があったが、

向こう気の強さだけでよく侵入者と戦って自分の庭を守っていた。

 

 

だが今はかつての敵だった真っ黒な猫、白黒まだら、灰色で尻尾の長い赤目、茶のシマシマなどが入れ替わり庭に現われ、

土の上に寝そべったりして主のいない庭を勝手に謳歌している。

彼らにもナナの不在は理解できるようだ。

まったく身勝手にナナの不在を埋めていく。

 

 

ナナは私が実家にいるときは心強い味方がいるからか、びっくりするほど強気に侵入者に挑んでいたが、

一度は大きな相手(犬?)と戦って前足に大きな怪我をし、暫くの間動物病院に厄介になったこともある。

ナナに夕食を与えた後は自分の家猫の世話をするのだが、虫の知らせというやつか何となく妙に不安になって実家の様子を見に行くと、

傷ついて実家の屋根にうずくまったまま動けずにいた。

60過ぎの固くなった身体で必死に屋根に上ってみると、前足に大きな切り傷があり出血していたので、

何とか部屋に入れ翌日医者に診せたが、自分の庭を守るため必死に戦った末の負傷だったのだろう。

それまで猫に縄張り意識があることはまったく知らなかったが、ナナに限らず領地持ちの猫は、

戦国時代のように相手陣地を侵略をしあっていたのかもしれない。

 

 

ナナが一生懸命守ろうとした庭も、今は侵入者の自由広場だ。

必死に追い払った他家の猫も、気の強いチビがいなくなって安心したのかのんびりとしている。

私も最初は彼らを追い払っていたが、今は好きにさせている。

他家の猫に愛情があるからではなく、「永遠の不在」という現実を承認するしかないからだ。

以前知人が、「寝たきりで意思表示も出来なくても、そこに生きている身体が横たわっているだけで救われる」と言っていたが、

「永遠の不在」には「生きている身体」もないから救いの要素はまったくない。

 

 

時にナナの不在を思いながら生きている私は、いま季節の変化に対面している。

ナナが死んだ秋口から、冬に移った季節も今は少しづつ春の息吹を見せ、主のいない庭に梅や新芽が先駆けている。

「主なしとて 春な忘れそ」といういにしえの歌も、主の「永遠の不在」という位置から見たらナルシスティックなものだと思う。

「主なければ 春ぞ忘れる」というくらいの方が私の性には合っている。

 

 

釣窯

手前の茶碗は薬が薄くて焼きも甘い。

奥のふたつはいい発色だと思うが、2度の勘違いから偶然いいところに辿り着いた。

今回初めて釣窯の薬掛けと焼き方のポイントが掴めたような気がする。

釣窯の色合いはあまり日本人には好まれないようだが、やきものとしては面白い薬だと思う。

 

↓2月15日撮影 実家の老梅

 

↓幹に空洞ができ、何の草だろうか宿りをしている