<老い>の迷走・暴走

お知らせ

2016年版「犯罪白書」によると、65歳以上の高齢者(私もその部類だが・・)の犯罪が20年前と比べ激増している、という記事を読んだ。

記事には少年犯罪や外国人犯罪がピーク時の3分の1に減っているのに対し、65歳以上の犯罪が突出して増加しているとある。

20年前(1995年)と比べ、高齢者の犯す殺人が約2.5倍、強盗が約8倍、傷害が約9倍、暴行に至っては約49倍に増加している。

以前、刑務所の受刑者が高齢化し、今まで想定してこなかった「刑務所内の介護」問題が大きな課題になっている、という記事を読んだことがあるが、

この問題も高齢者の犯罪の増加と関連した事案なのかもしれない。

記事には鉄道の駅員などに対する暴力行為で一番多いのは60歳以上だともある。

 

 

何故65歳以上の高齢者に犯罪が増加しているのか?

記事には原因として「医学的見地からの要因」と、「社会的環境変化からの要因」を書いていたが、

医学的見識によれば、老化に伴う脳機能の低下による判断力や感情抑制力の衰えを指摘していた。

脳機能の低下によって「キレる」老人が増え、老人犯罪が増加したのだろうか。

歳を取れば誰だって身体が小さくなるから、当然脳も委縮するだろうから脳機能の低下それ自体は自然なものと言える。

 

 

65歳以上という私の立場からすると、老化に伴い記憶力の低下は実感できるが、

感情の抑制はむしろ若い時分よりうまくできていると思うし、感情の抑制がうまく出来ている分だけ、

判断が豊かになっているのではないかと思っている。

若い頃だったら怒鳴りつけたような相手に対しても、貴重な残り時間をバカ相手に浪費したくないという自制の思いが働き、

皮肉のひとつも言って自分を引き下がらせるケースが圧倒的だ。

残念ながら、こちらとしては頭をひねって高尚な皮肉を吐いたつもりなのだが、相手が理解しないケースが多いから、

やっぱり関わり合いを避けて懸命だったと思う時が殆どで、実感として「キレた」記憶はあまりない。

若い頃からあまり自分を磨くことをせず、その反動から65歳を過ぎても向上心は旺盛な方だから、

学ぶことのない馬鹿にはやむを得ない場合を除いて、なるべく付き合わないように自戒している。

 

 

医学的見地から「キレる」老人が増えたという見識は、実はあまり当てにならないと思う。

20年前にも老いに直面した人々が、老化に伴う脳機能の低下が原因で「キレ」ていたかというと、

そうではないから、ここ20年の間に急増した老人犯罪や「キレる」老人の増加が問題になるのだ。

老いに直面し脳機能が低下することはいま始まったことではなく、「生・病・老・死」という人の生涯において、

誰もが通る道だから、脳機能の低下自体は20年前も今もあまり変わりはなかろう。

少なくともこの記事で出されている医学的な見識は、「キレる」老人の本質を捉えたものとは言えない。

 

 

次に記事では高齢者の暴行事案の増加の原因に、「団塊世代」の高齢化を上げている。

「団塊の世代」、つまり約270万人と言われる1947年から1949年の間に生まれた世代が高齢になり、

彼らは「会社人間」として身も心も会社(仕事)に捧げてきた生き方から解放され、

会社的な束縛や制約がなくなって社会的タガが外れたから暴行事案が増えたとしている。

「団塊の世代」は私より2~4歳ほど年上の世代のことだが、日本の高度成長期を一番感受性豊かな時期に通過した世代と言える。

彼らが順番で高齢者の仲間入りをしたから、そして彼らの社会体験の根幹に仕事優先の30~40年があり、

それがリタイヤと共にタガが外れて暴走し始めたという一見もっともらしい意見だが、

「団塊の世代」にすれば冤罪もいいところだと思う。

 

 

これは私達よりも20歳以上若い世代から見た、高齢者の<老い>の暴走の分析だが、こんな浅薄な分析で括られたらたまったものじゃない。

暴走老人を仮装して暴言を吐けば、「知ったかぶったガキどもが。もう少し目を開けてものをみたらどうだ」とでもなろうか。

人がある特定の時代のある社会において、<個別な存在>としてしか生きられない現実の中で、

個人のモラルや倫理、思想や理念で個人を律することが可能な範囲は、実感的に言えばせいぜい半分くらいのもので、

ある時代の個人の固有な世界が、絶えず流動する社会の圧力の前に変形を余儀なくされている、という視点が全く無いのだ。

こうした視点に立って、<老い>の迷走や暴走を捉えない限り、実は処方箋は見いだせないということを肝に銘じておく必要があろう。

 

 

 

イギリスの産業革命の後に結核が蔓延し、その意味を社会の急激な変化に対応できない人間のSOSと捉えた思想的立場があったが、

急激すぎるIT技術の進歩で、社会が第2の産業革命に直面した現在、人間にもたらされた解放が実は解放ではなく、

むしろ社会から個々に閉ざされているから、先進国ほど社会的閉塞感が蔓延しているのではないだろうか。

私のたった65年間の時間の流れを振り返ってみても、文明(人と人との関係の在り様)の加速度的進歩(変化)がもたらす、

切迫感や閉塞感は日々増加する一方だ。

賛意を求めるつもりはないが、たった20年間で急増した<老い>の迷走、暴走は、高齢者のSOSなのかもしれない。

はたして私たち社会は、例えば罰則強化という単なる対処療法でない根本的な処方箋を作り出せるだろうか。

 

 

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冬は寒いからもう少し暖かくなったら精製してみようと思う。

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