オリンピック?

お知らせ

東京オリンピック開催が決まり、様々な話題が飽くことなくニュースにのぼっているが、

全く関心のない私には「対岸の火事」以上に遠い出来事だ。

ただ商売上から見ると、オリンピックに向けた東京のインフラ再整備や民間開発が急騰し、

距離的に近い静岡県から建設関係の「ひと、もの、かね」が東京に吸引され、

ただでさえ足りない「ひと、もの、かね」が周辺ではすでに不足し始めている。

豊かな都市に資金や情報、チャンスなど富が集中するのは自明だから文句を言っても遠吠えになるが、

関係者にとって目出度い話も立場によっては迷惑になるということだ。

 

 

沼津よりも東京に近い御殿場の同業者によると、高速を使って横浜や東京に通った方が日当(利益)が上がるので、

地元の仕事に手を出さず東京や横浜に向かう建設会社や職人が増えているという。

バブル期に地方の建設業界は人手不足に直撃され、好景気に沸く他産業や大手に比べて「泡のつかみ取り」があまり出来ず、

その当時も地元の職人が東京や横浜に吸引されてしまったが、どうやらまた同じ現象が起き始めている。

そして祭りの後がいつも寂しいように、建設業界は2020年のオリンピック開催の頃になると急激に需要が減少し、

以後は氷河期が続くと言われている。

カンフル剤のような短期の金のばらまきで元気になるやつも少数はいるが、

もともと体力のない地方の中小零細に必要な手当ては、切れ目のない平準化した建設需要なのだが・・。

 

 

毎日うんざりするほど耳目に届くオリンピック関係のニュースで、何となく違和感を持つことに、

例えば「レガシー」とか「アスリートファースト」、「都民ファースト」なる言葉がある。

どうやら「レガシー」とは「遺産」のことで、多額の税金を投入して作られる会場施設などを将来にわたって活用し、

文字通り「遺産」として継承していくことらしい。

「アスリート・ファースト」、「都民・ファースト」も競技場の使いやすさや多額の費用を「競技者」、「都民」を第一に考えるということなのだろう。

 

 

無関係な私には「まあ勝手にやってくれ」だが、オリンピックの話題と共に登場したこれらの言葉はどうもなじめない。

たかがそれだけのことを、何故カタカナ(英語)に置き換えるのか全く理解不能だ。

「遺産」や「競技者第一」若しくは「最優先」で意味が通じないこともあるまい。

笑えるのは、「レガシー(遺産)」と表記した文章を見たことだ。

「レガシー」と格好をつけたつもりが、一般の人に伝わらないとでも思ったのだろうかカッコ書きで意味を書いていた。

 

 

世界の言語で最も語彙が豊富で、表現の深度や広がりが大きい日本語を放擲し、

カタカナ(英語)に置き換えることで、何かまずいことを糊塗しているとか、

都合のいいイメージだけを植え付けるつもりではないかと勘繰ってしまう。

それとも、日本語表現の中にカタカナを挿入することで、表現水準が上がるとでも思っているのだろうか。

官僚や役人を中心に、すでにある日本語を奇妙なカタカナに置き換える流れが目立つが、

それに違和感を持つ政治家もあまり見当たらず、官僚たちが導入したカタカナを率先して用いるのだから始末に悪い。

どちらにしても、同盟国アメリカの影響は私達の頭脳の中までおよんでいるということだ。

 

 

梶山静六という渋い政治家がいたが、ある時彼が当時はやった「財務情報開示」を「ディスクロージャー」と

少しなまったような、咬んだような口調で口にしたことがあった。(たしか彼は結構訛りがある茨城県の出身だったと思う)

大乱世の時に出番が来ると言われた腹の座った政治家だったが、おそらく官僚に教え込まれたカタカナを口にした時、

少しだけがっかりした。

誰にでもわかる日本語で十分伝わるはずの内容を、彼には似合わないカタカナで語る姿に、

「ブルータス、おまえもか」という残念な思いがしたことをずっと覚えている。

 

 

もう一つ判らないことがある。

東京オリンピックで過去最高のメダル数を獲得するため、オリンピックに出場する競技団体に(だけ)補助金を増額し、

メダルが獲得できる選手を育成・強化する政策を国を挙げて実行することだ。

オリンピックを機に国民のスポーツ熱を喚起し、さらに過去最高のメダルを獲得して国威発揚を目指すためのようだ。

メダルの獲得数は国力に比例するようで、アメリカ、中国、ロシアを筆頭に大国が獲得数の上位を占めるが、

日本も上位に位置して国力を誇示する狙いがあるらしい。

オリンピックの経済効果もよく言われるが、さてブラジルはどうだったのだろう。

 

 

メダルの数が国力の指標になるというのは非常に現実的で判り易いが、スポーツ大国イコール豊かな国でもなかろう。

なにより、アメリカ、中国、ロシアといった好戦的で侵略的な軍事大国と肩を並べるということは、

(競技者の考えや価値観は違うだろうが)、個人的にはスポーツの分野には必要なかろうと思っている。

国家が丸抱えでドーピングをしていたロシアの狂気は、メダル数イコール国力という価値観に浸食された指導者たちの狂気だ。

日本がそこまで堕落するとも思えないが、過剰な入れ込みや思惑は「健全性」が売りのスポーツすら変容させるだろう。

そこまで必要かいと思う。

やりたい奴はやればいいが、オリンピックに興味も関心もない無い奴が結構多くいることは紛れもない事実だ。

 

 

オリンピック自体が巨大化し、一国の事業というよりも世界的事業になった今、

縮小という立場で見直さないと開催国も豊かな国に限定されてしまうし、なによりオリンピック創始の精神や理念も死語になってしまうだろう。

まあ、「オリンピック?」私にはどうでもいいのだが・・。

東京オリンピックは「国民」という立場からすれば私にも微小な関係もあろうが、

小さな地方都市で日々の生活を営む「市民」という立場からはまったく関係がない。

私の周辺でオリンピックに全く関心を示さない人がいるが、小さな地方都市に住む「井の中の蛙」だからだろうか。

 

砧花入

さりげなく花を挿すのには形と大きさはいいのだが、

この色じゃネー。

もっと違う色が出ると思っていたのだが・・。

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