政治家の器

お知らせ

「政治家の器」といっても、

昨今マスコミが喧しく取り上げる政治家の劣化した資質や理念、思想や行動などのことではない。

政治家という人種に対して他人事のような物言いをすれば、

自国は言うに及ばず他国の政治家を見ても酷いもので、よくこんな奴が一国のリーダーたり得ると眉をひそめたくなる奴がいっぱいだという程度だ。

例えばトランプしかり、ドゥテルテ然りだが、当然彼らの出現を望んだのは多数の国民だ。

「衆愚」という見識や言葉は嫌いだが、判り易いが実は危険なアジテーションに乗って大きな流れを作ってしまう「衆」の一人として、

この国に第二のトランプやドゥテルテが生まれるような危機が到来しないことを願っている。

 

 

ヒトラーが政治舞台に登場したのは、ドイツが第一次大戦後の賠償問題などで先の見えない不況に陥り、

国内にフラストレーションが充満し、誰もがいらだっている時、

突破口を指し示すように(本当は行き止まりだったのだが)国民を熱狂させたからだ。

閉塞感が充満する時、ひとは荒唐無稽なアジテーションに雪崩を打って結集し、熱にうなされついには盲目になる。

威勢のいい話やスカッとするような判り易い話は、立ち止まってしっかり検証しないと誰でも「衆愚」の片棒を担ぐことになる。

 

 

さて、ここでいう「政治家の器」とは政治家がつくる器、具体的に言えば元総理・細川護煕がつくる陶芸作品のことだ。

早くから一部評論家などに「総理の器」と言われ、総理就任後「佐川急便」からの1億の借入金のことで辞任した細川護煕は、

その後、辻村史郎に弟子入りし陶芸の道に入った。

いまから10数年前のことだと思う。

 

 

功成り名を遂げた人物が余技で始めた陶芸など、「いいものを作る」というただ一点で苦闘しているプロの作家に失礼だろう、

という思いで気にも留めずいたが、ある時元総理がつくった茶碗を見て驚いた。

作品はプロを凌駕するレベルのもので、高々10数年ほどの研鑽では作れないはずの作品だったからだ。

茶碗は特に余技の域をはるかに超えた水準で、その後は元総理の作品を折に触れ見続けたが、

その出来栄え(茶碗)はプロ以上のものだった。

厳密に言えば、プロでは決して作れない作意のない茶碗が多かった。

 

 

今では細川作品は個展を開けば初日で殆ど完売するというし、師匠・辻村史郎に言わせれば「自分の作品より高値で売れている」とのことだ。

事実、一流作家の作品を集めたオークションでも、彼らに伍した値段で取引されている。

いまや細川の優品は欲しくても手に入らない状態だ。

当然「元総理大臣」というブランド効果もあろうが。

 

 

比べるのもおこがましいが、細川よりも少しだけ早く陶芸を始めた私は、

私の作るものと何が違い、違いの根底にあるものは何かということを、突然出現したそびえ立つ山を見るように考えた。

日本の陶芸界において、細川よりも長く深くやきものを作ってきた多くのプロ達が、

何故ぽっと出の元政治家に伍す器を生み出せないのか?という疑問といってもいい。

 

 

私見だが、おそらく違いの根底にあるものは、細川が育った環境が持つ「空気のような美」が、

他の作家には無かったと言ったらいいかもしれない。

物心付く前から身の回りに当たり前のように美があり、オーラを放つ一流品に囲まれ包まれてきた人間と、

そのような環境と殆ど無縁に育ち、意識して美を取り込もうと奮闘してきた作家たち(例えば私が好きな若尾先生や三成先生)との、

育った環境の違いが根底にあると思える。

写真やガラス越しにしか名品を拝めない立場と、意識せずとも名品が目に入り、触れることが出来る立場の違いは、

美を生み出す源泉の大きな違いになる。

 

 

元総理がつくる茶碗はどれもが殆ど作意が見られず、かつ名碗の<正統>が持つ気品や美しさがあり、

謂わば茶碗の「王道」に位置するものが多い。

誰もこんなにも自然に、こんなにもさりげなく美しい茶碗は作れないだろうと首肯せざるを得ないものだ。

一代の叩き上げ作家や十数代続く家系の作家では、残念だが細川の持つさりげなさを持つ器は作れないのではないかと思う。

 

 

家族や職人を養うため作るプロの器と、豊かな環境で明日の糧に煩わされることなく悠々自適に作る器の違いは、

残念ながら個人の努力では埋められない。

細川作品は、豊かな環境に育った者にしか作れない器があることを示す数少ない例といってよいだろう。

こうした初めからある格差が生み出す「結果」は、個人的には好きではないが、

美の世界においては生み出したものが全てだから、作品の持つ美しさは認めざるを得ない。

豊かな時代や環境から豊かなものが生まれるという事実は、歴史が教える通りだが大げさに肯定する必要もなかろう。

ただ努力だけでは太刀打ちできないものが、当然世の中にはあるということを知ればいいだけだ。

 

 

同じ薬でも生地の鉄分の差で発色がこんなにも変わる。

写真では大きさに大差はないが、現物を見ると左の方が圧倒的に大きく感じる。

どっちも形にキレやメリハリがないが・・。

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