ナナのこと(4)
従兄弟が亡くなり通夜と葬儀に参列した。
会場入り口には大きなテレビがあり、従兄弟の子供時代から孫に囲まれた最近の写真までが時系列で写されていた。
画面は市井でごく普通に生きた一人の男の人生の、幸福なシーンだけを繰り返し映し出していたが、
従兄弟の人生は割合よく知っていたので、思い出に浸りながら見ていて気づいたことがあった。
私が死んだ時、どんな葬儀をやるのか、それともやらないのか、残った者が考えることだから口をはさむ気はないが、
例えば参列者に向け、私の生涯を従兄弟のように映像(写真)で流そうとしてもその写真が殆ど無いということだ。
直近でいったい何時、自分の写真を撮った(撮られた)かあまり記憶にない。
60過ぎてからの写真はあるか?50代のそれは?40代は?
こう考えると、従兄弟のように生涯を時系列で映す写真が殆ど無いからスライドショーも出来ず、
参列者も手持無沙汰になるかもしれない。
まあどうでもいいことだが。
ナナの写真も父母が撮ったものはなく、私が撮ったものが少しあるだけだ。
それもナナの愛らしい姿の写ったものが殆ど無い。
シャッターチャンスに出会った時も、カメラが手元にないことが多く辛うじて携帯電話で撮ったものだ。
だから画面が荒いがご容赦願いたい。
亡くなったものの記憶も時間と共に薄れていく。
ナナの生きていた姿を思い出すきっかけに、少しの写真であっても撮っておいてよかったと思う。
ものにすがらなければ、すがっても記憶はどんどん風化する。
失くしたくない記憶でも、流れ行く時間の中で風化したり変ってしまうのが人の常だ。
ナナが死んだ翌日(10/2)、ナナが好きだった庭の金木犀の木の下に埋めた。
ここは何時もナナが私が来るのをじっと待っていた場所のひとつだ。
ここからだと私の工房も見えるし、私も埋葬の場所が見ることが出来る。
飼い猫は日々の食事の確保も自分ではできないし、病気やけがも飼い主が病院に連れて行かなければ自分では治せない。
薬だって自分では呑めない。
その点だけ見れば赤ん坊のようで、ここ数年は子育てをしてきたような気さえする。
だからナナが死んで張り合いがひとつ無くなった。
歳をとるということは、小さな張り合いがだんだん無くなっていくことかもしれない。
まったく歳を取るということは面白くないが、これも仕様がない。
玄関を開けるとすぐ脱走しようとしたナナを逃がさないよう、
注意してドアを開けることももうなくなった。
↓実家に泊まって夜ろくろを挽いていると、安心するのかこんなにものんびりと寝ていた。
↓夏は少しでも涼しいところを求め庭を移動しながら涼を採っていたが、
玄関前のコンクリートの上もお気に入りの場所だった。
↓まだ私を警戒していたころのナナ