如何せん
今年の3月、知人が陶芸家の持つ土地と建物を購入した。
陶芸家は引っ越しの際重い陶土やガス窯などは置いて行くそうで、欲しいものを引き取るよう知人から連絡をもらった。
早速、彼に同行してもらい陶芸家を訪ねたが、やきものをやる人間にとってそこは宝の山だった。
その陶芸家とは過去に少しだけ面識があり、置いていく陶土や釉薬などについて丁寧な説明をしてもらった。
陶芸家曰く、静岡では彼の専門の「煎茶器」の需要が減って捌けないから、故郷の京都に戻り再起を期すとのこと。
白洲正子の言を借りれば、「割れた器を漆と金で繋いでまた使うほどやきものを愛する日本人」もすでに昔日の面影はなく、
割れ捨てが当たり前の現代では、やきもの好きの層が薄くなり、いいものを作っても生活が出来ないほど殆どの陶芸家は窮地に立たされている。
なにより多くの金持ちが、やきものを愛するために必要な少しの知識と感性と美意識を持たないからか、
明治時代のような目利きの金持ち愛陶家が減り、一流陶芸家でも作る数と捌ける数の差は圧倒的で、
数人の例外を除けば、今の日本では、作家はやきものを作るほど不良在庫を増やすことに直結する。
件の陶芸家の引っ越しに合わせ、4月初め4tダンプ3台ほどの陶土や釉薬、道具などを頂いてきたが、
陶芸をやる人間の常で、「昔」の土や釉薬原料は垂涎の的だから、私も可能な限りの材料を積み込み持ち帰った。
宝の山に迷い込むと、人はこれほど欲深くなるのかとわが身を疑うほど貪欲に持ち帰った。
それらを1週間ほどかけて仕分けたが、欲をかき過ぎたのか、一生かかっても使いきれないほどの量になっていた。
大雑把な仕分けの後は、今も時間をかけて仕分けを続けているが、分不相応な量に今では多少戸惑っている。
一生かかっても使い切れない陶土を前に、どうしたものかと悩む毎日だ。
先人の言うとおり、過ぎたるは及ばざるが如しだ。
近頃は体力の低下もあり、昔ほど長い時間ろくろを挽くことが出来ない。
少し無理をすると腰が痛みだし、その分だけ形が甘くなる。
それでも膨大な量の陶土に背中を押されてろくろに向かう様は、欲をかいた者への罰と思うしかない。
今までに自分で求めた土と、陶芸をやめた知り合いから引き取った土に件の分を加えると一生陶土を買う必要はなかろうが、
膨大な量の陶土を形にするには私の残り時間が足りない。
今更ながら、欲も程々にということか。
『四面楚歌』の中で、漢軍に四方を包囲された項王が、
寵愛した虞美人と5年間共に戦場を駈け敵を撃破してきた愛馬の末を案じ嘆息する姿は、さながら今の私のような気さえする。
「陶土と作品を如何せん」だが、プロですら捌けない作品が、プロとアマの中間あたりにいる私にとって捌けるはずはないし、
糧道としてやきものを作っている訳ではないから、捌くということもあまり考えていない。
死ぬまでに今ある土を全部作品にし、子供に負の遺産として残してやろうかとも考えるこの頃だ。
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夏休みは実家に泊まり込んで盆の行事をこなした。
といってもそれほど行事がある訳でもないから、実家と自宅の電気窯をそれぞれ何度か焚いた。
200度位になったら強引に窯を開け、次を詰めるという繰り返しだったが、
結果がこれになる。
写真を取ったら新聞紙でくるんで段ボール箱に入る作品だが、箱の置き場もだんだん無くなって来た。
抹茶碗のうち飯椀になりそうなものは知人に上げたり自分で使ったりしているがたかが知れた数だ。
若いうちから茶碗を作ることには違和感があり自分を戒めてきたが、もうそろそろいい頃だろう。
それにしてもこの数、 「如何せん!」だ。