ナナのこと(2)
5/21(土)の朝、車でナナを轢いてしまった。
実家の入り口に納屋があるのだが、毎朝ナナは必ずこの納屋の前に居て、私の車の音がすると飛び出す習性がある。
運転席から死角になるうえその習性はよく承知しているので、いつも飛び出す前にブレーキを掛ける。
当日もいつもと同じようにナナが車の直前に飛び出して来たのだが、その日は私が浮かれていて少しスピードが速かった。
結果ナナをまともに左後輪で轢いてしまった。
柔らかいナナの全身に乗り上げた嫌な感覚は今も残っている。
子供の頃から浮かれ過ぎて嫌な目にあったことが多くあり、自重して生きて来たつもりだったが・・。
自業自得とはいえこの嫌な感覚は暫くまとわりつくだろう。
すぐに状況が分かったので、ドアを開けて飛び出したがもうナナの姿はなかった。
ナナが驚いてその場から逃げだしたことは、パニックになった私にもすぐ判った。
姿を消したナナの名を呼びあちこち捜したが、たった今起こったことが私の錯覚のようにナナの姿は消えてしまった。
5/21の朝のことだ。
錯覚であってほしいと念じたが、身内に残っている嫌な感覚が錯覚でないことを物語っていた。
その日は仕事もあまり手に付かず、何度か実家に行って思い当るところすべてを探したが、気配は全く無かった。
おそらく傷の痛みと恐怖でどこかに潜り込み、身をすくめているのだろうことは容易に想像ついた。
以前ナナが行方不明になり、夜遅く実家に捜しに行ったら2階の屋根にうずくまっていたことがあった。
屋根に上り、おそらく犬にやられたであろう傷を負って身動き出来ずいたので助け出して医者に見せたが、
同じように夜になれば戻るかもしれないという期待で、その晩から探し始めた。
猫の行動範囲は狭いので、夜も実家の両隣の家や向かいの家などを名前を呼びながら、ライトを当てて探したが声も姿もない。
21日の夜から始めたナナ探しは日を追うごとに諦めに変っていった。
夜になると近所の知人も熱心に探してくれたが、影も形も見当たらなかった。
おそらく、重症を負ったまま誰にも気付かれぬ場所でうずくまったいるうちにダメージが広がり、そのまま死んでしまったのだろう。
せめて、ナナの縄張りだった庭に墓でもと願っても、姿が発見できなければどうしようもない。
災害などで行方不明者の遺体を探すニュースをよく目にするが、生きているものが死んだ者にしてやれる最後の行為が弔いだということを
あらためて実感した。
ナナ探しが徐々に諦めに変って行き、もう戻らずどこかで死んでしまったと辛い結論を自分に納得させ始めたころ、ナナが戻ってきた。
5/25の夕方、事故から5日経って諦めの方が大きくなっていた頃だ。
日課である窓の開閉のため実家に行ったところ、半分くらいに痩せ細り表情もうつろなナナが定席の庭石の上にいた。
あわてて抱き上げ、部屋に入れて食事を与えたが水以外は何も口にしないで寝てばかり。
そのまま医者へとも考えたが、落ち着かせようと3日ほど実家で一緒にいて28日に入院させた。
ただちにレントゲンや血液検査、その後は「酸素室」へとなった。
「酸素室」というのは人間の場合の「酸素吸入器」のことだろう。1m四方ほどの酸素が噴き出す部屋のことだ。
医者からはなぜすぐ連れてこなかったと言われ、非常に難しい手術になるとも言われた。
タイヤにもろに轢かれたので横隔膜が破れ、両肺が上にせり上がり圧迫されて機能不全。
その他に肝臓と大腸も圧迫され、本来の位置からずれているとのことだった。
幸運にも骨には異常なし。
慣れない酸素室に入れられたナナは、傷のダメージが強く動けぬまま、私が酸素室に手を入れると鳴き声を上げて顔をすりつけた。
おそらく慣れぬ状況への不安と傷の苦しさで私に助けてもらいたかったのだろう。
医者はその晩のうちに隣市の設備がもっと充実した本院に転医させ、5/30の夜にオペをした。
手術前、本院へ様子見に行くと不安でいっぱいのナナはアクリル板越しにか細く鳴き、手を入れると一生懸命顔をすりつけて何度も何度も鳴いた。
戸を閉めようとすると嫌がって抵抗した姿を見て、涙腺が緩みそうになったが、初日にナナを診断した若い医者がそれを見て泣いていた。
私はなんとなくこの医者は信用できると思った。
オペは3人の医者で行われ無事に終わったが、翌日の午後面会に行くと術後の合併症や肺機能が戻るときに肺が耐えられるか等、
予断を許さないと言われ、最後は神頼みしかない有様だったが、何とか合併症の発症もなく6/2首にエリザベスカラーを着けて退院できた。
退院後も大きな事故と大きな手術を経たので水以外は口にせず、管で胃に直接栄養を送るオペをしたが、これは管が折れてしまい中止。
仕方なくその後は強引に口を開け、針のない注射器で私が溶かした食事を注入した。
当然嫌がるが他に方法もないのでこれを1週間ほど行ったが、苦しがる姿を見ると指示された量は注入できず、体重は減るばかり。
スープ類を準備してもまったく口にせず、子猫用ミルクを少し摂取しただけだ。
このまま痩せ衰える不安があったが、日が経つにつれ色々なスープなどを与えると何とか口にするものもあり、少しずつ回復し始めている。
6/15抜糸が終わり、2日後にはエリザベスを外してもよくなった。
食欲は以前の5分の1ほどしかないが、少しずつ胃を慣らしていくしかないだろう。
オペの際お腹の毛を径10cm以上切ったので、まだ傷跡もそのまま見える。
どの程度で元の姿に戻るか不明だが、私が焦っても仕方がない。
それにしても、幅20cm位のタイヤで轢いてしまったとき手や足、頭には全く接触せず、手と足の真ん中をタイヤが通過し、
肋骨の骨折などもしなかったことは奇跡だろう。
手術も非常に難しいもので、手術の最中に体力が持たない恐れが多分にあるとも言われた。
術後の合併症も起きることなく、ようやく回復の緒に就いたところだ。
術後首に巻きつけたエリザベスをさほど嫌がることなく療養していたから、ストレスを心配した私としてはホッとした。
ナナの天寿を見届けるのが私の務めだと決めているので、少しだけ私の人生も元の軌道に戻ったようだ。
医者は大きな手術をした上に高齢だからもう外に出さないようにと言う。
外に出られないことがナナにとって一番つらいことだろう。
抜糸の2~3日前から、玄関を開けるとエリザベスを着けたままやせ細った体で庭に出ようとするほどだから、
当分は罪滅ぼしに家の中で遊んでやるしかない。
↓毛が長いから大きく見えるが中身は小さい