ナナのこと(1)
ナナは10数年前、子供が巣立ち父母ふたりでは広すぎる実家に貰われてきた雑種のねこ。
母はそれまで飼っていた猫が老衰で死んだ時、死別が辛いから二度と猫は飼わないと言っていたが、
知人から子猫を見せられた途端、前言を翻し老夫婦の家族として迎え入れた。
ナナが10数年前に実家に来たことは確かだが、正確なこと(年齢など)は分からない。
その頃の私は自分のことにしか関心がなく、父母のことましてや子供の代わりに家族になった猫のことはあまり眼中になかった。
余談だが、
以前「生きているものは生きていることしか語らない」という私の好きな言葉について書いた記憶がある。
自分が老境にさしかかった今、自分の子供を見ていると10数年前の自分の姿そのままで、
生きていること=自分のことにしか興味や関心がないようだ。
自分のことだけに関心を集中させ生きている子供の姿を見ると、改めて哲人の思想(洞察)の深さを実感するが、
(誰もがそうした時間を長く過ごすのだろうから、それはそれでいいのだが・・)
父母と同じ立場に立った今、あの頃もう少し父母に関心を寄せるべきだったと後悔が生まれる。
ナナと名付けられた猫は極端な人見知りで、近くに住む私や家族が実家に行っても殆どその姿を見ることがなかった。
父母以外の声がするだけですぐに父母の寝室に逃げ込み、誰もその姿を見たことのない「幻の猫」。
私が実家に行っても、それまで父の胡坐の中にいたのにあわてて姿を隠すので後姿しか見ていない。
誰もナナの声を聞いたこともなく、初めてナナの声を聴いたのは父の遺体が110日の入院後に自宅に帰って来た時だった。
父の枕元に家族が集う中、外から帰って来たナナが突然父母の寝室でオオカミの遠吠えのように長い間鳴き続けた。
自分を一番愛してくれた人間の死を、猫なりに理解した弔いの声だと確信した。
なにより4か月近い父の不在にもかかわらず、父の記憶と父の死を認識していることに驚いた。
私の家にも2匹の猫がいるので長い間ナナには興味もなく、ただ老いた父母の無聊を慰めてくれればいいと思っていた。
そんなナナの面倒を私が見るようになったのは、父が亡くなり母が老人ホームに入所してからだ。
ほかに適任者がいないから、広すぎる田舎家に一人暮らすナナの世話は自然と私の仕事となった。
実家の空気の入れ替えや隣からの町内伝言板の受け渡しなどもあるが、
父母不在の実家に毎日行くようになったのは、猫がいるからというのが本当だ。
当然ナナも食事を供給してくれる唯一の新しい飼い主を以前のように無視できなくなり、
最初は私が実家のドアを開けるとしぶしぶ入室し、食事が終わると脱兎のごとく外に逃げ出していたが、
そのうちに時の流れと力関係を理解したようで、徐々に私になついてきた。
父母に甘えていた至福の時間がある日途切れ、新しく仕える対象が私になったと分かったのか、
少し甘えるようにもなった。
それでもブラシで毛づくろいをやっていて何度か咬まれた。
爪で引っ掻くのでなく、咬みついてくるからきっと気の強さも人(猫)一倍なのだろう。
朝昼晩と3度の食事を与えるため実家に行くのだが、仕事の都合で昼が抜けたり、晩が深夜になることが度々ある。
いつ行っても必ず庭石の上(真夏だけ木陰の土の上)で待っている。
何時間遅れてもずっと待っているから時として始末が悪い。
猫の体温が人間と比べてどうか知らないが、真冬でも私を待つ場所(冷える庭石の上)は変わらない。
寒がりの私には、真冬にその姿を見ると自分の身に置き替え辛くなるが、部屋の中に留めても暫くすると外に出たがる放蕩猫だ。
決まった時間に行くことの出来ない主人を、いつまでもじっと待つ姿は忠犬ハチならぬ忠猫ナナ。
腰を落とし両手を差し出すと犬のように駈けてくるが、犬と違ってモンローウォークの内股でノシノシと駈けてくる。
「オイデ・オイデ」をして駈けてくる猫も珍しいかもしれない。
ナナも年老いて(おそらく14~15歳だろうか)、食事は時々実家に来る妹や私の娘でも受け入れるほどには丸くなったが、
それでも、食後は外に逃げ出すようだ。
ナナの世話が始まってから、私は宿泊の伴う旅行があまり出来なくなった。
時に不自由さも感じるが受け入れるしかない。当分は旅行が出来なくても、最後には冥土の旅が出来るのだから。
夜の付き合いも面倒な年齢になっているから、猫3匹の世話を理由に断ったり早めに席を立つことも出来る。
その意味では少しは飼い主に貢献している。
↓気の強さがモロに出ている