無名のまま(その2)
過日、故・塚本司郎の大作5点を入手した。
塚本司郎という陶芸家が日本の陶芸シーンでどのような評価を受け、どのように遇されているか私には正確に判らないが、
少なくとも私の持っている情報では、彼の制作拠点であった土岐市や美濃地方では知られた存在であろうが、
所謂「全国区」というものではなさそうだ。
実際のところ、入手した5点は名古屋の有名デパートの個展で販売された大作ばかりだったが、入手価格は10分の1にも満たない価格だった。
求めた私自身がその価格に驚愕し売主に申し訳ないと思ったほどだから、作者は無名に近いと言っても過言ではないだろう。
私自身、氏の名前をどこで知ったか記憶が定かではないが、
氏の作品に出会って以降、いっぺんに魅了され熱烈なファンとして氏の作品を追い求めている。
作品が持つ清澄な美しさと技術の確かさに目を見張るばかりだ。
「有名でない」が、他の「名ばかり作家」を凌駕する作品を生み出す作家に出会うことは、やきもの蒐集の大きな喜びで、
かつ「有名でない」から「名ばかり陶芸家」ほど不必要かつ傲慢に価格が高くないことがうれしい。
それにしても今回の価格は法外な安さで、こうした幸運にごくたまに巡り合えるから、大げさだが生きることも捨てたものではないと思う。
それほどうれしかった出来事だ。
『web悠果堂美術館』に氏の代表的な作品4点を掲載しているが、
今回入手したものはまさに「美術館アイテム」というに相応しい大作ばかりだ。
近日中に掲載するので是非ご高覧頂きたい。
氏の経歴を見ると、昭和20年17歳で従兄弟の塚本快示(人間国宝)の製陶所に入所し、独立は55歳の時。
翌年初個展というから非常に遅咲きの作家である。
『日本伝統工芸展』などの「公募展」への出品については今の時点では不明だが、
おそらく出品していたら当然何らかの受賞があっただろうし、もう少し有名になっていたかもしれない。
64歳の時に「白磁・彩磁の技法」で土岐市の無形文化財保持者に認定され、その他土岐市や岐阜県から顕彰されているが、
私には特記するほど正当な評価とは思われない。
私が百万言の下手な解説をするよりも、現物を見ればその技術の高さや芸術性は一目瞭然だが、
塚本司郎に限らず、その美と評価が釣り合わない陶芸家がそこかしこに埋もれたり、発見されぬままいるかと思うと、
日本陶芸の権威主義的体質にうんざりすることもある。
そして、埋もれてしまった彼らの美を伝えることが愛陶家としての使命のような気さえしてくる。
世界の頂点にある日本の陶芸シーンには、その裾野が広いゆえにもっともっと光を当てられてしかるべき陶芸家が多くいるということを、
言葉ではなく彼らの作品で実証することが、大風呂敷だが私の使命だと思っている。
その意味でも近代以降の作家作品を中心にして、ほとんど無名のまま世を去った作家の優品を展示する美術館建設を
私の愛陶人生の集大成にしたいと夢想しているところだ。
「それにつけても金の欲しさよ」だが。
平成24年の彼の死後、遺族から遺作が180点余り土岐市に寄贈され、平成27年の夏に企画展とそれに伴う図録が出版されたが、
土岐市という小さな市の予算の都合なのか、十分な図録ではない。
せめて常設の場を作ったらと要らぬおせっかい心すら湧いてくる。
何かの都合で「人間国宝」には縁がなかったが、その芸術性と作品の力で彼らを凌駕する陶芸家はまだまだ存在する。
彼らは、殆んど「無名のまま」世を去ったことに微塵の悔恨もないだろうが、
何かの折に彼らの作品に陽が当たると、彼らが潜在していた分だけ強烈なインパクトを持って私たちの前に出現する。
例えば、安原喜明もそのような作家の一人だと考えている。
彼の作品も『web悠果堂美術館』に17点公開しているので、是非モダニズムに溢れた優品をご高覧頂きたい。
↓柿釉壺
こんなテカテカな柿薬ではやはり赤面してしまう。
GWに同じ釉薬の茶碗を電気窯で還元焼成したところまったく違う調子になったから
そのうち焼き直してみるかな。
口が少し大きいような気もする。