気が付けば4月

お知らせ

年度末の工事引き渡しが終わった3月末から入院し手術を受けた。

別段大病ではなく鼻腔のポリープを二つ切除したのだが、本来3泊4日の入院が血糖値が高いということで8泊9日になってしまった。

ポリープは10年以上薬で抑えてきたが、薬は成長を抑制するだけで小さくはならなかった。

脳に供給される空気量が少ないからか頭痛が頻発し、いびきも大きかったがこの状態が残余の期間続くのも煩わしく手術を受けた。

息子曰く「大人の親指の倍ほどのポリープが2つ」あったそうだ。

術後3日間は痛みと手術中に飲み込んだ血を吐き出すのがとても苦しかった。

 

 

「徒然草」に、持つべき友人は「医者と頭のいい奴とものをくれる友」という1節があったと記憶しているが、

しばらく医者とは付き合いをしたくはない。

実感からすれば、下心なく「ものくるる友」がいいがそんな友人は皆無だ。

入院中は甘いものと煙草が好きな人間がそれを禁じられ、味の薄い病院食で過ごしたので仕事とは別のストレスもたまった。

日頃のストレス抑えが甘味と煙草では血糖値が上がるのももっともだが、血糖の問題がなくても3泊4日では無理だったと思う。

歳をとると回復力も落ちる。

入院経験がないから今までは入院患者を見ても結構気楽に見えたが、自分がその身になると入院自体が辛いものだ。

 

 

手術前の2~3日は外出許可をもらい会社で半日ほど仕事をしたが、せっかく人生初の入院だったので外出を止め読書に費やした。

こんな機会にしか読書三昧が出来ない生き方もそろそろ見直さなければと思うが・・・。

再読だったが、以下を読んだ。

 

 

「長いお別れ」・・・この作品は3回目になるが、巷間言われる「いつ読んでも新しい発見がある」という評価がよく判った。

最後の数行で描かれるマーローとテリー・レノックスの別れのシーンのために、この長い長い物語は書かれたような気がする。

小説ではこの「長いお別れ」が、映画では「第三の男」が別れのシーンの白眉だと思っている。

私が「お別れ」するまでにあと2~3回はこの作品を読めるだろうか。

今回気付いた箇所のうち、タフで優しい探偵がコーヒーにミルクと角砂糖2個入れるシーンがあり、

砂糖とミルクのないコーヒは飲めない私にはこのシーンが嬉しかった。

 

「又蔵の火」・・藤沢周平が心に暗い情念を抱えながら、その思いを作品に昇華させた比較的初期の作品集。

特に表題作は、僅かの歴史資料から主人公の心の中まで推し測って作品に昇華させたものだが、作者自身も「妻の死」を経て深い闇の中にいたのだろうか。

どの作品も暗いトーンに彩られ、読後の解放感や満足感は皆無の作品集だが、作家の生涯を知るためには避けて通れない作品集だと思う。

退院後、彼の「用心棒」シリーズを再読し始めたが、こちらは非常に明るい。

人は何かの契機でこころと作品がこんなにも明るく変わるのかと思うほど、ふたつの作品の陰影は異なっている。

小さなことで人生が少しだけ変わるだけでも人生捨てたものではない。

 

「私訳 歎異抄」・・五木寛之の親鸞物のひとつ。非常に分かりやすい私訳で、特に古文に全く素養のない私には理解しやすかったが、

判り易い分だけ、原文の持つ格調や重みがなかった。

古典の名作は意味が分からずともただ丸暗記して口ずさみ、そのうちおぼろげに意味を知るという接し方の方が理解が深まると思う。

「音」から入って何かの折に意味を知るという経路の重要さを、遅まきながら気付いた。

作者の親鸞3部作を気合を入れて読んでいるが、書評家の言う程には私は深みを感じない。

 

「黒書院の六兵衛」・・単行本上下2巻を入院前にネットで安く買っておき読んだが、寝ながらの読書に単行本は重くて適さない。

老眼には病院の枕元のライトも暗すぎた。

浅田次郎は多作な作家で守備範囲も広いが、作品の出来上りにばらつきが大きい作家だと思う。

この作品は長編の割には作家のモチーフが一点に集中せず、その分盛り上がりに欠け私には少し未消化な感じが残った。

まあ何事であれ「無から有を生み出す仕事」に10割を望むのは無理な話で、やっぱり3割位が妥当だろうか。

 

 

退院後、収縮した胃に普段通りの食料を供給したところ、生まれて初めて胃痙攣を起こし、鈴木三成先生訪問という一番の楽しみをドタキャン。

2週間ほど胃痛と背中や肩の張りに苦しみ、ようやく回復基調に入った。

胃が収縮すると背中や肩の張りがひどくなることも初めて知った。

今年になって初入院と初胃痙攣が続き、初物尽くしだったがわが身の老いを感じる4月だった。

気付けば4月、気付けば直に「高齢者」では情けない。

 

さて、

まだ完治とはいかないがGWに薪窯をやる。目標の焼成時間は取りあえず80時間。

前回は焼成中に棚組が崩れて初めてのほぼ全滅を経験したが、今回はその轍を踏まぬよう慎重に窯詰めをした。

詰めヨシ、薪の準備ヨシ、後は燃やすだけだが、こいつが一番難しい。

気まぐれな「窯の女神」が久しぶりに微笑んでくれることを祈っている。

 

 

 

↓今まで薪窯で多くのものを焼いたが、この花生は背も高く(たまたまろくろが上手く挽けた)テリのない渋い肌で気に入っている。

いつもこんな調子で上がれば火燃しの苦労も報われるのだが・・・。

こんな美人でも貰い手なし。せっかく桐箱まで作ったのに・・・。

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