勇気はつらい
「なによりも、辛い現実を直視する勇気を持たなければならない」と言ったのは、「ロシア革命の父」と言われたレーニンだった。
レーニンの壮大な歴史的実験と理念は、その後継者であるスターリンと後の指導者たちによって大きく変節し、
やがて歴史の波にのまれていくのは誰もが知るところだ。
死期が迫る中、後継に最もふさわしくない野心家スターリンに権力が掌握されていくなかで、
その流れを変えようとあがくも、もはや打つ手のなかった彼に目の前の辛い現実はどのように映ったのだろう。
優れたリーダーが孤立し、浅薄なリーダーがその取り巻きと共に力を持つという悪しき組織の構図は、
残念ながら何時も、何時までも繰り返され続ける。
ソビエト連邦崩壊後、彼の像が各地で倒される映像がニュースで流れたが、個人崇拝と神格化を否定したレーニンにとっては僅かの救いだったろう。
死後自らの肉体がレーニン廟で「永久保存」されるという最も望まぬ悲劇は、レーニンの神格化を図りながら、
自らの権力強化に利用したスターリンによるものだが、
実はスターリンの登場からソビエト崩壊までの流れの基底に、レーニンの思想の限界(欠陥)やその萌芽があるという思想的な評価もある。
今は地に堕ちたとも言えるレーニンの評価だが、帝政ロシアの打倒と民衆による権力の誕生という歴史の一ページは、
やがて再評価される時代が来ると思われる。
のっけから固い話で恐縮だが、生来目の前の「辛い現実を直視する勇気」に欠ける私は、何度となくこの言葉に励まされたものだ。
「辛い現実を直視する」ということは、いま自分が置かれている現実に対し恐怖や諦念、逃避の思いを持たず、
辛い現実を克服するために「何をなすべきか」を必死に考えるという謂いだろうが、
レーニンのような鉄の意志がない私には、 馬の耳に念仏のようなところがある。
名言や箴言を知識として持つよりも、身をもってそれらを実践する人の方がいいに決まっている。
ということも、たしかレーニンが言っていたっけ。
さてご報告。
10/9(金)から始めた薪窯が、トラブルを重ねながらも仕上げに入った10/12(月)の深夜、窯の中で重低音の音がした。
窯の周りの野良猫が薪の山を崩したと思いそのまま火もしを続け、朝方窯の中を覗いたところ、
2列目の棚が前方に崩れて作品同士がくっついたり、ひっくり返ったりで窯の中が惨憺たる状態だった。
こうなるともう打つ手がないから、ただ締めて窯を閉じるしかない。
目標温度にも届かず、窯入れから数えると1週間以上の苦労が無駄になり、今回の窯はほぼ全滅ということだ。
友人の作品も中にあり期待に応えられなかったこともさることながら、彼の作品を再生不能な状態にしてしまったことが一番のきつい。
翌日、自分を鼓舞して窯を覗いたところ想像以上のひどい結果で、やはり全滅状態だった。
敗者が負けを再確認するようで自虐的思いもしたが、「辛い現実を直視」したその日はたっぷり落ち込んだ。
どうにもならない現実は受け入れるしかないが、費やした時間と労力を思うとやっぱり情けなくなる。
人生はこうした徒労の連続とも思うが、それにしても辛いものだ。
「まあ、愚痴は言うまい。結構いい思いはしたんだし」by宮谷一彦。と言って自分を慰めるしかない。
↓薪窯ならではの作品で、こうしたものはガスや電気では決して採れないから老体にはきつくても薪は続けたい。
薪窯の作品は多くの場合、花よりも前に出ず花を引き立てる名脇役になる。
そのくせ、存在感が抜群だ。
この花生はけっこう自分では気に入っている。「老松」とでも名付けようかな。
作者が自作品に銘を付けるのには何となく抵抗があるのだが・・。