文明の利器(最近の作品)
陶芸をやっていると薪窯、灯油窯、ガス窯、電気窯の焼き上がりの違いを聞かれることがある。
ことさら研究した訳ではないので経験的に答えるのだが、分かり易く「焼肉」に例えて答える。
「焼肉を炭とガスと電気で調理する場合、どれが一番おいしい」と聞くのだが、
ほとんどの答えが、「炭、ガス、電気」の順になる。
焼肉に関しては私の実感も同じだが、科学的理由はよく判らない。
やきものも薪、灯油、ガス、電気の窯でそれぞれ「味」が変わる。
熱源に不純物を含む窯ほど焼き上がりに深みや味が増してくるから不思議だ。
綺麗に焼くならば、電気、ガス、灯油、薪の順になるし、身体の負担もこの順番で軽いが、
クリーンな熱源ほど「味」や「深み」はなぜか落ちてしまう。
何となく人間の在り様と似ていて、クリーン過ぎると味や深みが薄れるのだろうか。
このことは、村田亀水先生や鈴木三成先生という名人をしても変わらない。
『web悠果堂美術館』の亀水先生の『青瓷象嵌雲鶴文茶碗 2個』は先生が薪窯で焼いた作品だが、写真を見れば薪ゆえの奥深さが如実に表れている。
まさに本歌と見まごうばかりの焼き上がりで、実物は写真の比ではないがそこまで表せないのが悔しい。
やっぱり多くのやきものは手に取ってこそ、その質感や美しさが実感できる。
鈴木三成先生の『青瓷鎬(しのぎ)壺』も薪窯焼成ゆえの気品ある色合いが浮かび上がっている。
「月白青瓷」に近い控えめな青は他の作品と比べても色の深みが違うが、写真でうまく伝わっているだろうか。
三成先生の薪で焼いた作品は、青瓷特有の「貫入」があまり入らなく、テリ(光沢)が抑えられ、かつ割れにくいという特徴がある。
と言っても、わたしに薪の焼成に対する「信仰」がある訳ではない。
電気で焼こうが、ガスを使おうが、結果としていいやきものが出来れば熱源はどれでもいいと基本的には考えている。
作り手が自分の作品に何を求める(表現する)かによって焼成手段を選べばいいと思う。
私自身は、「綺麗過ぎないやきもの」が好きだから、例えば陶芸技術(技巧)の頂点を極めた中国清時代の厳格で隙のない作品はあまり好まない。
熱源に不純物を含む順番で「窯変」という想定外の変化が増えるから、やはり薪窯による焼成に憧れる人は多い。
さらに、焼成時間の長さと還元の強さに関係もあるのだろうが、焼き上がりに時間の掛かる薪窯の作品は固く締まって割れにくい。
「備前のすり鉢投げても割れぬ」と言われた備前焼は最低でも1週間、森陶岳のように半年に渡って大窯を焼く人もいるほどだから、
備前焼の焼き締りは、例えば他の「無釉焼き締め陶」と言われる丹波、常滑、信楽、伊賀と比べてもその焼成時間の長さゆえに硬さも別格だ。
もっとも備前焼の場合、土の特徴的な性格もあって(基本的には急激に熱を加えると割れる「田土」を使う)ゆっくり焼くのだが、
その間の薪の量と人件費を考えれば、備前焼が相対的に高いものになるのは仕方がないと思う。
よく備前焼は価格が高いと言われるが、焼くのに人手と時間が多く必要だからという点もある。
さて、7月に少し大きめの電気窯を購入した。
電気窯は陶芸を始めた段階で最初に求めるのが一般的だが、私の場合薪、ガス、電気とその順番は逆になってしまった。
性格がひねくれているからの選択ではないが、多少薪への信仰があったのかもしれない。
薪は最低でも3~4日間、ガスもガス圧調整があり20~24時間ほどの間は窯から離れられないから、
窯を焚く予定がなかなか立てにくく、今まで焼く頻度が少なかった。
電気窯の多くはプログラム制御だから、要所要所で調整すればいいのでほとんど毎日でも焼成が出来るし、
温度の微妙な調整も簡単にできる。
このような知識はもちろん以前からあったが、実際使ってみるとその便利さに驚く。
薪やガスに比べ温度や時間のデーターが取りやすく、焼成の際の湿度や気圧、風向き等にもあまり影響されないようだ。
「文明の利器」と言う古い言葉も気恥ずかしいが、電気窯はまとまった休日の取りにくい私にとっては本当に便利なものだ。
以下の作品はその電気窯で早速焼成したもの。
それにしても時間さえあれば、もっともっとたくさんのものを作れるのだが・・。
便利な電気窯で焼いた最近作。
ふたつの鉢を写した写真は、自然光の下で見ると黒のブルーの混じりあった「鉄耀」で、もう少し試験を重ねればモノになるかもしれない。