はを抑止できるか?その7(社会復帰)

お知らせ

大阪府寝屋川市の中学一年生の男女二人が、45歳の容疑者に殺害され死体を遺棄されたニュースが連日流れている。

民放を中心に容疑者の過去が細かく報道され、この男が過去にも少年を監禁したり暴行を加えていたことが明らかになり、

昨年の秋に刑務所から出所したばかりだとか、福島の除染作業に従事していたなど、一人の人間の生き様が丸裸にされて伝えられている。

現時点では犯行の状況や動機などが不明で全体像がはっきりしていないが、マスコミによっては容疑者の「性的嗜好」が動機だと示唆する報道もある。

 

 

報道が正確だとすれば、人間の持つ「性的嗜好」がどこから生まれ、生きていく過程でどう変化するのかという点が事件の核心のひとつになる。

容疑者の男には少年に対する性的欲求があるようで、多くの民放ニュースがそのことを取り上げている。

この男が十数年の懲役刑に処せられた<罪>のひとつが少年に対する性的暴行のようだが、

個人の資質に属する「性的嗜好」が、長い懲役という<罰>によって変化(悔悛、更生)することはなかったようだ。

 

 

刑務所は<罪>を犯した人の価値や道徳、倫理、社会常識などを、出所後のシャバに対応できるよう矯正(教育)する場としては、

有効に機能しているとは思えない。

刑務所は<罰>を苦役として課し、市民社会にある自由を大きく制限した時間を強制する場であって、

犯罪を犯した人間の社会性の再生の場ではないかもしれない。

辛い懲役刑が「教訓」となり、二度と犯罪に手を染めないという効果もあろうが、それ以上の効果(例えば資質の改善)は期待できない。

 

 

懲役刑が辛く厳しいから犯罪を犯すのはこりごりだという<罰>の効果は、特定の<罪>には有効性があるが、

シャバで人が<罪>を犯す心的な契機をなくす効果はない。

人がシャバで<罪>を犯すきっかけが、塀の向こうにある<罰>への恐怖で抑制されることは稀かもしれない。

だから、何かのはずみで罪をおかしてしまった人間に対して、過酷な懲役労働や不自由な毎日は「辛い教訓」として作用するだろうが、

故人の資質(性的嗜好)による性犯罪は、出所後の行動をコントロールする機能としてはまったく働かない。

<罰>としての懲役刑にもその効力(更生力)に限界がある。

 

 

精神医学的に個人の資質や生い立ちに起因するであろう「性的嗜好」が、後天的に治療(矯正)可能かどうか詳らかではないが、

過去の再犯率などを見ると、相当の時間と手間を掛けなければ大きな矯正は不可能ではないかと思う。

性的嗜好に基づく犯罪が、覚醒剤使用などと同じくよく繰り返される原因はよく判らないが、

その契機は人の資質や生い立ち、精神に出自があるのは確かだろう。

 

 

田代まさしというタレントが覚醒剤使用で何度か入所し、出所後周りの協力で更生しかけた矢先、

スカートの中を盗撮して逮捕されたニュースが少し前に流れた。

誰もがこの「懲りない人間」に唖然とした中で、一般的な感想としては「スカートの中」を見たところで何が楽しいのだろうというものだったろう。

下品な言い方をすれば、「スカートの中の画像よりスカートの中の生身」をモノにする方がよっぽど楽しいというのが、

当たり前の判断だと思ったが、どうもそう単純ではないようだ。

こうした行為は、現実の人間関係では思うようにならない自分自身がよく見える分、精神のバランス調整機能が崩れ、

虚構の世界で自己実現や自己完結を求める病理的現象で、広義の「依存症」の範疇に入るらしい。

そういえばこの男は、それ以前にも盗撮で逮捕されていたと思う。

この男が、マスコミのカメラの前でうつろな目でしゃべる姿を見た時、誰もがシャバでの更生が難しいと感じたはずだ。

 

 

「衰弱した精神が引き寄せる妄想もしくは想像」という状態は、

実は誰もが無縁でなく、私も何度か陥ったことがある。

仕事に追われて睡眠時間が減り、体が疲労困憊している時に私生活上のトラブルが重なったりすると、

ふっとうつろな心が「魔のエアーポケット」に入り込み、妄想を生み出したり、あり得ない想像を引き寄せたりする。

この時の精神状態は、対人関係に対して非常に過激であったり、極端に弱気になるからやがて自分でもそのおかしさに気付くが、

個人的には「衰弱した精神が引き寄せる現象」と名付け、人生の黄シグナルと注意している。

人生にはいつだって『逢魔ヶ刻』、『逢魔ヶ辻』が横たわっている。

 

 

寝屋川市の事件に関連して、アメリカの性犯罪に詳しい人物が、米国ではこの種の犯罪者が刑期を終えて出所する際、

身体にマイクロチップを埋め込み警察が24時間常に居場所を追跡できるようにしたり、自宅に「幼児に対する性犯罪を犯した」という

プレートを掲示したり、「性犯罪者」という名札を常に掲げて生活をさせると語っていた。

彼は「アメリカでは幼児に対する性犯罪者は社会復帰をさせない」と語っていたが、

懲役という償いが終わっても「社会復帰」をさせないということは、<罰>が永遠に続くことを意味する。

それにしても特定の犯罪(者)に対して「社会復帰」をさせないというアメリカの行為は、

「社会と人間の関係」を考えるうえで大きな問題提起となる。

日本が「社会復帰」を理念的には前提にして<罰>を課するのと大きな違いだ。

 

 

精神医学においては最先端にあるアメリカで、性犯罪者を「社会復帰」させないということは、

それだけ性犯罪者に対する治療の困難さを示していると思われる。

社会に身を置かせながら、ほとんど全ての社会関係を遮断するというやり方はいかにもアメリカらしいが、

日本では到底考えられない<罰>の与え方に驚く。

そのうちアメリカでは、性犯罪者の遺伝子を操作して「性的嗜好」を変えるようになるかもしれない。

 

 

 

手付き花生(いつもこんなコゲが出来ればいいのだが)

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