用は一朝にあり
「兵を養うこと千日 用は一朝にあり」とは、
中小企業のシャチョーが、仕事がなくて社員がブラブラしている時、
自分を戦国武将になぞらえ、揺れ動く心をなだめるのにもってこいの言葉だ。
会社に仕事がない時だからこそ、自分でスキルアップを企画し、
暇な時間を成長のきっかけにしてほしいと願う時、独り言のように吐く「自己慰撫」の言葉!
この言葉は武田信玄座右の銘と記憶し、「兵は養うに千日 もちうるに一日」と記憶していた。
意味は同じだが、正確には冒頭の文言が正しいようで、中国の『水滸伝』にその出典があるようだ。(これはネットによる知識)
社員を養い、用いる立場から見ればこの文言通りだが、最近少しだけ内省的になってきているから、
自己流で、危機に際し「突破力は養うに千日、もちうるに一日」とアレンジしている。
私のように「疫病神」に深く愛される資質を持った人間(これは実に的確な自己分析!)は、
千日に一度以上の割で苦しい局面に遭遇する。
数年に一度、「疫病神」が訪ねてくるのは私だけでなく、誰でもそうかもしれないが、
「疫病神」が準備した苦しい局面を脱出しようとするとき、一番ブレーキになるものは実は私の「こころ」だ。
例えば仕事上でトラブルが発生する。
経営の立場からすると会社へのダメージを極力少なくするように、
問題を感情的にならず処理すればいいのだが、
どうしてもその過程で『筋』に拘ってしまい、却って私自身が問題をこじらせることがある。
こちらにあまり非のないクレームなどは軽く受け流せばいいのだが、これがなかなかできず、
理不尽なクレーマー(最近はこの手の人間が増えた!)には、
「こんな理不尽な要求を見逃せば必ず後悔する」と相手に対し攻撃的になる。
まったく馬鹿なことだと常々思うが、こうした場面で計算(打算)が出来ないから要らぬ敵やトラブルを拡大させるようだ。
たぶん日頃(平時の千日)の思い込みがいけないのだと思う。
もっと言えば、私が育った時代の「日々小さな努力を重ねれば、何時か大きな力になる」という道徳観が、
頭の中枢に刻印されているのだろう。
日々力を鍛え、「一朝有事」の時にその真価をと考え(これ自体は別段、悪い発想ではなかろうが・・・)
戦時でもないのに、いつも戦いの刃を磨いているからかもしれない。
若しくは、「一朝有事」の<時>の捉え方が間違っているのかもしれない。
私はどうも力を用いるその<時>を間違えるようだ。
頑張らなくてもいい時に頑張ってしまうドンキホーテ!か。
昔、怖い話を聞いた。
人は「武器を持つとどうしても使ってみたくなる」らしい。
彼はリアルにこう言った。
「血を吸った刀を持つと刀が血を欲しがる!」(けっこう怖い言葉だ!)
鍛えた力をいつかは使いたいと思うのは人の常かもしれない。
余談だが、軍人が武器を持つと戦争がしたくなるとしたらとしたら、
恐ろしいことだ。
すべての武器(人を殺傷するための道具)が持つ「魔力」に、
軍人たちが幻惑されないことを祈るばかりだ。
人生の師である故・岡田吉信先生に言われた。
「つまらぬ者に自分から関わりあうな。自分も詰まらぬ者になる」と。
岡田先生のように「柳に風」の飄々とした生き方をしたいとずっと思ってきたが、
道は遠い。
肝に銘じて、「売られた喧嘩」も買わぬようにしようと思う。
(灰釉壺)