たかが!
寺山修二といえば「言葉の錬金術師」と呼ばれ、思いつくままでも、
俳人、歌人、詩人、小説家、作詞家、脚本家、映画監督、俳優、評論家、劇団『天井桟敷」主宰など多くの肩書を持ち
47歳で亡くなるまで多彩な才能を文芸の分野で発揮した私たちの時代の寵児だった。
個人的に言えば、寺山修二作品のなかで一番好きなものは若い時期にそのほとんどを創作した短歌だが、
彼の膨大な作品群の中で、これからも生命を持ち続ける作品は短歌だと思っている。
恥ずかしい話だが、若い頃短歌にのめり込んだことがある。
直接的には三島由紀夫が「現代の定家」と絶賛した天才・春日井健の影響をもろに受け作り始めたものだが、
同時に寺山修二の影響も大きく、二人の天才に頭の中を挟撃されたような時期があった。
かれらは短歌の「神」に選ばれた早熟の天才の双璧で、私のような感性の鈍い者が短歌を詠んでも、
かれらの才能と自分の駄作との間の遠すぎる距離がはっきり見え、
自分の才能の無さや感性の鈍さにうんざりした苦い思い出しかない。
読み手として、多少なりと文学作品の読み込みが出来るようになると、
自然に創作という段階を目指すものかもしれないが、
多少なり作品を読み込める分、自分の能力の低さが見えてしまい断念するのが一般的かと思う。
幼児期から絵を描くことが好きで、それなりの訓練をしたのだが、自分の作品と画家のそれを比較すると、
どの作品を見ても、「自分にはどう頑張っても描けない」という諦念ばかりが湧きあがった。
今思うと、短歌も絵も創作能力はなかったが、「観る眼」だけはあったのかもしれない。
「作詞家」・寺山修二の作品は、やはり「言葉の錬金術師」と言われるだけあって、
非常に詩的な「詞」が多いが、「たかが人生じゃないの」と言う「詞」が長い間気に入っている。
歌詞と云う3~4節ほどの短文の中に、小説ほどのストーリー性や映像を惹起させる才能はやっぱりさすがだ。
誰もが自分の人生を至上の価値として生きる中で、人生を「たかが」と 言い切ってしまう詞に驚いた記憶がある。
この詞が発表された時代(たぶん1970年代後半)の雰囲気や価値観、等を上手く捉えた詞だと思うが、
「たかが人生」と書ける作家の腹のくくり方が妙に新鮮だった記憶がある。
そういえば阿久悠も何かの詞で「たかが人生」と書いていたから、
これらの思いは二人の作詞家に共通の思いだったのかもしれない。
芥川龍之介の「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である」と言う
有名な箴言にも通じるアンビバレントな思いが二人のなかにあったのだろうか。
それ以来、「たかが人生」と言う言葉は、私の中に生き続け、何か苦しい時や手に余る問題と対峙する時、
良く呟いたものだ。
「たかが!・・・じゃあないか」
寺山修二の短歌で私が短歌を諦めた(諦めされられた)傑作。
『大工町寺町米町仏町老母買ふまちあらずやつばめよ』
青森県出身の太宰治と寺山修二は二人とも結構うそつきで油断ならないが、
まだ寺山修二の方が安心して接近できると思う。
(自然釉壺)