金儲けも一つの才能

お知らせ

「企業は経営者の器以上には大きくならない」とはよく言われる言葉で、

私自身も会社のHPの挨拶で述べたとおりだ。

この時、器として想定しているものは「経営規模」かと思う。

優秀なリーダーが牽引する会社は当然成長するし、能力のない経営者が率いた企業が、

大きく成長したという話はあまり聞いたことはない。

 

この経営者に対する評価はあくまで商売上であって、彼全体の評価ではない。

つまり、経営者の全体像のうち、仕事から離れた部分の評価は無視されているとも思える。

「仕事以外の部分でも優秀な人間は、当然その優秀さが仕事にも反映される」という反論が聞こえそうだ。

当然、経営者は全身全霊を傾け仕事をするから、仕事の能力とそれ以外の能力は連動するだろう。

 

 

だが、そうではない人間も多く見てきた。

つまらない奴が大金を動かして儲け、人間的に<質>が高い人が金儲けが下手だったりした時代があった。

日本がバブル景気に沸いていた時代、金儲けだけが取り柄のつまらない人間によく出会ったものだ。

 

 

あの時代、優秀な経営者とは土地や株に不安を持たず投機できる人間だったろう。

日本人の殆どが金に狂騒した時代だったが、土地も金も地方の中小企業にはほとんど無縁で、

特に3Kと言われた地方の建設業者は、慢性的人手不足に悩まされただけだった。

民間ディベロッパーと称する人々が土地を買いあさり乱開発を続けたが、時に彼らの仕事にかかわることもあった。

殆ど見積りだけで終わったが、彼らと接触すると大きな話ばかりで、小さい身(会社)の私はいつも気後れした。

 

 

結果、バブル崩壊とともに大口たたきの人々は表舞台から去った。

当時出会った人々の顔さえ思いつかないが、総体的に言えば人として学ぶところ(例えば思慮深い)の少ない人たちが多かった。

かれらの大きな錯覚は、私流にいえば、

「金を儲ける能力は、例えば字を綺麗に書けるとか、走るのが早いとか、記憶力がいいとか、マラソンが得意だとか、

人誰もがそれぞれ持っている能力の一つに過ぎない」ことを、

周りからちやほやされ金儲けが上手いということは特別な能力と思ってしまったことかと思う。

バブルの時代、地に足をつけた商売をしようとすると「前向きでない」と言われたものだが、

バブルで成功した人や会社が今どれほど残っているだろう。

 

それ以来、金儲けの上手いやつに会ってもあまり感心することは無くなった。

むしろ、「ほかに誇れるものはないのかね?」と心の中で半畳を入れている。

どうしても社会は金儲けの上手いやつを称えるところがあるが、

バブル以降「金儲けも単に一つの才能に過ぎない」と考えている。

これが私がバブルから学んだ唯一の教訓。

 

 

(そば釉鶴首瓶)

写真HP更新用 093