私はリニアには乗らないだろう
大岡信の詩句「わたしは月にはいかないだろう」になぞらえて言えば、
「私はリニアには乗らないだろう」となる。
リニア新幹線が、何年か先に東京・名古屋間を45分で走るという。
元々、技術自体は「不可逆性」という特性を持つから、
現在の水準よりも、早く、軽く、小さく、強く、安全に、等々を自然希求するし、
技術屋はそれを達成するために日々努力を重ねる。
前進のみのギヤしかないのが技術の技術たる由縁と言っていいが、
技術屋の端くれとして、それ自体は誇らしいことだと思う。
だが、勘弁願いたいのは、東京・名古屋間を45分で行き来する時代が来る、
つまり、それだけのスピードを私たちの生活全般が必要とする時代が、すぐそこに来るということだ。
当然リニアの速度に連動し、他の交通手段,情報伝達から生活の在り様も含め、
社会全体が現在以上のスピードを求められるだろう。
リニアのスピードは近い将来の私たちの生活速度を象徴すると言える。
ITと言われる科学が、瞬時に情報を世界に伝播できる時代にしたが、
その利便性を十分消化できないうちに、もう次のステップが待っているようだ。
私のようなアナログ感性で、それでも時代の流れについて行こうとしても
IT社会の膨大な情報量に太刀打ちができない。
本来の生き方に何も関係ない情報に接する機会だけが増え、
ただ、情報に対する即応能力だけが発達していくようで不安になる。
終わりのない「もぐら叩き」のようだ。
時間をかけて自分に必要なものと不要なものを仕分けることもなく、
ただ未処理の情報(本来余り必要でないと後で気付くもの)だけが溜まっていく現実が、
さらに拡大するということだ。
仕事にIT機器の導入が不可避となった時、すこし「時代おくれ」の
生き方をしよう、機器には触れないようにしようと思った。
だが、仕事がそれを許してはくれなかった。
仕方がない。せめて生き急がされるこの社会に、批判の目だけは持ち続けよう。
だから、私はリニアには乗らないだろう。
茨木のり子『時代おくれ』より
「けれど格別支障もない
そんなに情報集めてどうするの
そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま」
(焼き締め銅鑼鉢)