web悠果堂美術館通信(58)

Web 悠果堂通信

4/18(木)に新規の作家作品を含む8点をアップしました。

新規の作家は備前焼の山本出(4点)、八木明、内藤六郎の3人で、他に竹中浩、日本古陶磁に「馬の目皿」があります。

民芸愛好家に好まれる江戸時代の瀬戸焼「馬の目皿(石皿)」は、中央に「沼津代官所」と書かれたものでおそらく当時の特注品と思われます。

私は沼津の住人にもかかわらず、かつてこの地に「沼津代官所」があったことも知りませんでしたが、

この皿を契機に少しだけ「沼津代官所」のことを知ることが出来たことはよかったと思います。

是非ともご高覧ください。

望みもしない10連休が始まりますが、連休明けにはスタッフが精力的に新規作品をアップしますので、また覗いてみてください。

 

 

八木明は天才・八木一夫の子供ですが、ろくろの腕前は抜群でご本人もその自覚があるのか、作品を見てもろくろの冴えがハッキリわかるものが多いと感じます。

ろくろが好きな私としては、ろくろの腕前がわかる興味深い作品も多く上手い作家だと思いますが、

抜群の腕をもう少し別の方向に広げたら新しい発見もあり、面白いものを生み出すだろうと感じています。

表現者としは非伝統的な作品を作り出来もいいのですが、作品の持つ<力>は父親には及ばないと思います。

個人的にはそれも仕方がないと思います。

というのは、私の持論ですが、近代陶芸の世界で子が親を超えた例は殆ど皆無で、かろうじて加藤唐九郎と岡部嶺男の関係がそれに当たるかと思いますが、

巷間伝わる親子の確執もあったから、子が親に肩を並べることができたのかとも考えます。

陶芸に限らず、どんな世界も二代目、三代目が創業者を超えるのは至難で、

かく言う私もこの頃になって亡くなった父や母の<力>が分かってきた次第です。

 

 

さて、最近は改めて「土もの」の良さを再認識しています。

備前、信楽、伊賀、丹波など「土もの」の作品が持つ美しさや味わいに、以前にも増して引き込まれていますが、

「土もの」作品の評価が最近は少し下がっているような気がするので、その流れに対する心情的な反発かもしれません。

 

 

長年「土もの」を作ってきた私の立場から見ると、残念ながら最近のやきものの評価(人気)は「石もの」のほうが上のような気がします。

過日ある作家と話した際にも、やきものを評価する立場にいる評論家などが、「土もの」を十分理解できていないのではないかと慨嘆していましたが、

この作家の見方は昨今の流れを見るとある程度首肯せざるを得ないと個人的には感じています。

公募展などを覗くと、大作と「石もの」が主流のように見えます。

もちろん作家の表現手段として「石」が選択されているのですが、磁器の大皿や大鉢に染付や色絵といういつも同じ流行りのワン・パターンを転換しないと、

日本のやきものが徐々にその力を失うような気がしています。

ただ私のこの見方も、「石もの」を低く見るものではなく、いいものは石であろうが土であろうが違いはないという基本的な視点からの感想です。

 

 

↓鉄赤八角皿

左は酸化焼成の浅い皿、右は還元焼成の深めの皿。

出来上がったものを知人にあげているが、深めの皿のほうが使い道が多いとのこと。

作り手としはて発色が気に入らないからこの手の皿も不良在庫として増える一方。

大きめの皿だから使い勝手さえよければ、そしてもっといい色が出れば買い手がつくかもしれない。

それにしても「焼き」はいつまでたっても上手くならない。