猿もする反省
日本の建設業は、4%ほどの「ゼネコン」と言われる大企業と96%位の中小企業に分類されるが、
96%を占める中小企業もピンキリで、準大手といっていい経営規模の会社が結構多くある。
私の会社は当然96%の中小企業の中にあり、その中でも小規模企業になる。
経営の要諦は業績拡大と企業の成長にあるから私の経営者としての能力も容易に察しがつくだろう。
40年ほど建設業に従事して感じることは、同じ建設業とはいえ大手と中小の差はさながら異業種のようで、
棲息する世界が全く違うということだ。
同じ魚であっても、海にすむ魚、川に棲息する魚、小さな沼に棲みそこで生涯を終わる魚ほどにその生存環境が異なるが、
建設業はこの例えのように格差が大きく、これだけの格差を持つ産業はこの国では建設業だけだろう。
旧態依然とした建設業の変革は、一部企業が享受しているオリンピック特需が終わり、
96%の中小企業が右肩下がりの業績になってその緒に就くだろうが、その時のためにいま何が出来るかというと悲しいかな具体策が出て来ない。
どこに所属し暮らしても、苦労や喜びはどの生活圏にあるだろうが、
「苦労の甲斐」という点から見ると、小規模企業には残念ながらやりがいや苦労に見合う満足感が欠ける。
隣の芝生が良く見えるというだけでもなかろう。
例えば福利厚生の面から見れば、殆んど最低レベルの小規模企業と大企業との差は、同じ産業とは思えないほどに差があり、
それ故我々チューショーには新卒者や優秀な人材があまり入社しない。
世界のトップにある日本の建設業を、底辺で広範に支えているチューショー企業の現実は実にお寒いものだ。
最近になってようやく公共工事受注に際し、「社会保険」の加入を声高に言い始めている状況だ、と言えば判るだろうか。
人は誰でも生きている間は、その人に相応しい役割がある。
今の立場が私に相応しく身の丈に合ったものだろうが、慢性的な人手不足で何でも関与しなければならないチューショー企業主よりは、
大会社の経営者の方が日々の「せわしなさ」だけは少ないような気がする。
日々の「せわしなさ」さえなければ、沼は沼なり棲みやすいのだが・・。
「大海の水は飲んでもイワシはイワシ、泥水飲んでも鯉は鯉」ともいうから、
沼で矜持を持って生きていけばいいのだろうが、私の場合は経営者として努力不足で、小さな沼という経営規模を変えることが出来なかった。
この齢になると生きて来た道程もよくみえるので、要はチャンスが向こう側から転がり込むほどの努力が足りなかった、ということに尽きるだろう。
今さら努力不足を言い立てても意味もないが、それでも仕事を最大の生きがいにして働いていた頃、
向こう側から幾つかのチャンスが舞い込んできたこともある。
だが、沼から川へ、そして海へと、ステージを駆け上るほどの大きなチャンスには巡り合わなかったようだ。
ひとは努力や才能に見合ったチャンスにしか巡り合えない。
私自身は多少の努力で小さなチャンスには巡り会ったと思うが、大きなチャンスには縁がなかったようだ。
努力と才能が足りなかったということだが、原因は運の良し悪しというよりも私の日々の緩慢な過ごし方だと思う。
守備範囲に汲々として日々を重ねてきたからと言えようか。
経営者としての必須の条件に、人と関わることが苦にならず好きという点があると思うが、
人付き合いが好きでない私には、その点も欠けていたと思っている。
以前「日光猿軍団」で、トレーナーが「反省」と声を掛けると猿が反省のポーズを取るというパフォーマンスをやっていた。
明らかに罪や失敗を犯した人間が、ろくに反省もせず居直る姿を最近はよく見かけるが、
その度「このバカは猿でも出来る反省すら出来ない」と思っていた。
猿以下も情けないから少しだけ経営の反省をしてみた。
↓白化粧の花入
陶芸を始めた頃から「白化粧」技法にあまり関心が無かったが、貰いものの化粧土を使い切るため最近は時々作っている。
「刷毛目」とか「化粧掛け」という技法に関心が無いから当然うまく出来ない。
それにしても、花が有っても無くても映える花入。そんなものが出来ればいいのだが・・。