ミミキレその後
去年の10月か11月のある日、ミミキレが突然姿を現さなくなった。
痩せて汚く人間を見るとすぐに逃げ出す野良猫だったが、その痩せ具合を見た私が究極の肥満猫にしようと悪計をめぐらし、
朝夕にドライフードをくれ始めたのが付き合いの発端だった。
最初は投げてやったドライフードを恐る恐る食べ、私の前で口にするのさえ1~2ヶ月かかったが、
その後の餌やりで、痩せて汚かったミミキレは肥満気味と思われる体型にまで変化し、表情も徐々に落ち着きが出て私にも慣れてきた。
エサやりはなかなか大変で、特に休日は、小さな幸福である朝寝を返上し、布団のぬくもりに後ろ髪を曳かれつつ工房に行ってはエサをくれた。
エサを欲しがる野良猫と男の年寄りは朝が早い、ということもこの早朝のエサやりで知った。
「ミミキレ」という不相応な名前まで与えたのだが、こちらの悪計に身の危険を察知したのか、ある日突然工房に姿を見せなくなった。
ミミキレの身体に触れるまでの時間と気遣いとエサ代は結構なものだったが・・・。
私としては、もともとが野良で飼い主としての責任もないが、「縁」を拾ったという多少の思い入れもあり、
事故にでもあって死んだか、他の野良に追われてどこかの庭に移ったかと思っていたが、
1か月後くらい経った某日突然姿を現した。
その姿は、かつて痩せて汚い野良ではなく、丸々太って図々しさ丸出しの猫になっていた。
初恋の少女の面影をずっと胸に抱いて再会したら、単なる太った図々しおばさんになっていたようなものだ。
哀愁漂う野良の面影など微塵もなく、実家の庭によく来る近所の器量の悪い肥満猫どもと何ら変わらず、
それでも懐かしさに工房のドアを開けると、入室はしたが私が与えたエサには見向きもせず、部屋を一周してどこかに消えた。
寂寥感はなく、私以外の人間に餌をもらえることに安心し、かつ朝夕のエサやりから解放された気持ちの方が強かった。
痩せて汚い野良を豚のように丸々と肥やす悪計はとん挫したが、太ったミミキレのデブ具合から考えると、
私のエサやりの量や頻度では到底足りない大量のエサを、どこかでもらっていたのだろう。
私以上に周到に、野良を豚にするオプションを実行した人がいたのだろうか。
私の計画がとん挫した理由は、うちの2匹の猫が肥満にならないよう食事の量やタイミングを娘から厳しく注意されているから、
その流れでミミキレに対しても量をセーブしてしまい。結果ミミキレは量もタイミングもお構いなしの方に走ったと考えている。
その後2~3度ミミキレを見ることがあったが、誰かの手によって見事に豚のような体形になっていた。
ミミキレが私より周到な人によって、豚になってこの寒い冬を越えられたことで了とする。
野良を豚にするという悪意を心に秘め、ミミキレに接する度に悪事の小気味よさを味わったが、成就しなかったということだ。
「つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離るることのあるをも」『歎異抄』
私はもともと人間関係に執着が薄い性格のようで、「去る者追わず、来るもの拒まず」と生きて来たつもりだが、
こうした性格が老いに向かっているからか、最近は強くなったような気がする。
身の回りのものを徐々に減らしていって死に向かいたい、と言った藤沢周平の思いの中に、
人間関係という「縁」も含まれていたのだろうか?
↓黒い花入
本来は「ニッキ飴」のような色のはずだったが、還元が強かったのか「黒飴」になってしまった。
それなりに花は引き立てるだろうが、言いようのない発色だ。
「