普通が一番

お知らせ

「普通が一番」は、作家藤沢周平が娘・遠藤展子に常々語っていた言葉。

 

だが、よく知られているように、氏の人生を見ると決して「普通」に生きた(生きられた)人生とは思われない。

若いころの結核発症とそれに伴う教員職の辞任、数年にわたる療養所への入所、娘が誕生したすぐ後の妻との死別とその後の子育て、家族を養うための勤務と文筆活動の両立、晩年の肝炎発症など、決して氏の人生が「普通」の人生だったとは思われない。

それとも、試練に満ちた人生だったから「普通」に生きる人生を娘に願ったのだろうか。

 

氏の膨大な作品群と、何より作品の質を殆ど落とさないその筆力は驚嘆以外のなにものでもない。

ほとんど停滞や作品の質の低下とは無縁の作家のひとりといえよう。

勤勉な職人のように、日々決まった時間の中で常に新しい作品を生み出す作家の姿を想像してみれば、尋常な努力や才能ではまかなえないことが容易に想像できる。

 

にもかかわらず、この作家が到達した生きる根底の思い(価値)が、氏の作品に多く描かれた下級武士や町人の姿と同じように、「普通」に生きるという側に収斂していったことは、「普通」に生き「普通」に死んでいく私たちに大きな希望を与える。

 

「普通に生きることが一番幸福なんだ」という思いに至るのに、私たちは幾つの峠を越えなければならないのだろう。

「普通に生きる」、言い換えれば、与えられた時代状況や関係の枠組みの中で、争うことなく日々の暮らしを見つめ、営みたいと、60過ぎたいま心底思う。

残念ながら、私たちの一生は誰もが、「普通」でありたいという思いからいつかどこかで逸脱し、社会の規範や他者の価値観などとぶつかってしまうが、

自分の価値観が他者や社会とぶつかる時、初めて「普通」に生きて来た日々の中で自分の中に何を価値として蓄えてきたのかが問われるのだろう。

 

それにしても、社会的価値観といわれる壁のなんと分厚く堅牢なことよ。

 

 

(澱青釉筍花生)

写真HP更新用 070