上達の余地

お知らせ

赤面の至りだが、若い頃、文系学生の御多分に漏れず詩や短歌、小説もどきをいくつか書いたことがある。

才能がない上に、文学的素養が成長を始める時期(多様な言葉と出会い、自分なりの表現を掴む時期)になると、

関心が評論全般になってしまったので、作品らしいものを書き上げることなく終わった。

いまも題名は記憶にあって、『海からの湿った風』『good-by my witch』『ロレンス・そののち』などだったが、

題からしてどうもサマにならない。

要は文学好きの青年が、誰でも一度は通過する道を通ったということだ。

 

 

娘が連れ合いの遺品の片づけていた折、私が書いた20歳前後の創作メモのノートを発見し、

40年ぶりに開いてみたら、変に抽象的な言葉を書き連ねたページやら、箴言めいた言葉を書いたページやらで、

その稚拙さと過度な観念的表現に閉口した。

それでも当時の私は真剣な思いで種々書き連ねたのだろう。よくある話だ。

当時自分に課していた唯一のルールは、「巷の処世訓」のような表現や認識は書かないというものであったが、読み直すと通読に耐えない。

それにしても処分したはずのノートが何故妻のもとにあったのか、いまでは聞くことができない。

 

 

当時拙い詩や小説の類はほとんど深夜に書いたが、この手の体験に特有なものなのか、

翌日読み返すと、思い入れが多すぎて読むに堪えなかった。

いまだったら、情熱の赴くままに書いたもの、つまり構成や表現方法などの全体像を組み立てることなく衝動的に書きなぐった文章は、

翌日冷静に読み返すから当然アラが目立つということが理解できるが、

当時はなぜ昨晩書いたものが翌日納得できなくなるのか、不思議だった。

 

 

こうした齟齬感を埋めるためには、昨晩の情熱(モチーフ)にじっくり繰り返し時間をかけて形を与え、

客観性に耐えうる作品に昇華させることが(作品の良し悪しは別にしても)、書く行為の深化につながっていくのだろう。

そして、このことは個人の手によるあらゆる創作やもの作りに共通する基本姿勢だと思う。

昨日の成果に満足せず、自分だけにわかる欠点を翌日修正する。

そしてまた次を始めるということが、個人的営為の先に生まれる作品のレベルを上げる唯一の方途だと思っている。

 

 

今更こんな当たり前のことを書くのは、最近陶芸で同じ体験を繰り返しているからだ。

ろくろ挽きから素焼きまでは何とか得心した形(フォルム)のものが、いざ釉薬を掛けて本焼きをし、

出来上がって来ると、どうも自分が思い描いたイメージと違っていることが多い。

特にここ数年その思いが強い。

描いたイメージよりもいいものが窯から出てくる場合もまれにあるが、殆どの場合イメージ(願望)より下だ。

それも肝心な形(フォルム)が納得いかないケースが多いから、ふと青臭い時期を思い出したということだ。

 

 

ろくろ挽きから削りの成形過程で自分なりに納得がいっても、本焼きの後でその自信が霧散する。

これはおそらく、ろくろ挽きと削りの、形を作る段階でフォルムに対する厳しさが足りないから、

焼きあがったものに納得がいかないのだと思う。

要するに、形を作る過程で合格点を与えるのが早過ぎるし甘いのだろう。

料理と一緒で「あとひと手間」を加えればいいのかもしれないとこの頃は感じている。

今頃になってこんなことに気付くのも情けないが、気付くうちはまだ上達の余地があるということかもしれない。

そんなことを考えた今回の窯出しだった。(今回の作品は順次アップする)

 

 

陶芸のスタートを薪窯から始めたのも良くなかったかと思ってもいる。

薪窯の魅力は枚挙に暇がないが、一番大きな魅力は少しくらいの欠点を窯が補ってくれるところにあると思う。

自分が多少納得のいかない形であっても、自然灰の降りかかり方や灰の溶ける様子、

コゲと呼ばれる窯の中の炭が作品と一体化した部分などで、印象や仕上がりが驚くほど変わるからだ。

私たちは「窯の神が助けてくれた」と言って、薪窯で半端な出来の作品をいい方に修正してもらった経験が何度かあるが、

どうも、釉薬もの(ガスや電気による焼成)には、薪窯のような突然変異を生み出すような要素があまりない分、

気付かなかった欠点がはっきり出てくるのだろう。

「窯の神」という、電気やガスにはあまり来ることのない援軍を待つより、自分の力で何とかということだろう。

 

 

↓鉄釉砧(今回窯だしのもの)

「砧」と言われるこのフォルムの花生は大好きで、

自分なりの形を見つけたいと何度も作っている。

素焼きまではいいと思っていたが、焼き上がってみると欠点だけが目立つ。

よく「ろくろ10年」というが、何時まで経っても土が言うことをきかない。