ひねもす・・・

お知らせ

学生時代、時間があるとためらわず本屋に行った。

本を買うためではなく、他人と話すことなく、長居をしてもとがめられず、

陳列された本を好きなだけ眺めているだけで充足したひと時が持てた。

格好よく言えば、「群衆のなかの孤独」を味わうには本屋が一番適していたのだろう。

新刊本を手にとって立読みしたり、金が無くて買えずにいた本が、

長い間売れずに残っていると何となく嬉しくなったりして無料で充実した時間を過ごせた。

 

 

当時、いつも新刊本をチェックし立読みをしたのは詩集(歌集)のコーナーで、

高い値段の詩集を買うことは出来なかったから、立読みするには長さがちょうどいい詩や短歌の作品を読みふけった。

大きな書店には詩集や歌集をたくさん並べたコーナーがあり、詩人や歌人の名や著作はそこで立読みをしながら覚えたと言ってもいい。

また当時は現代詩専門の月刊誌や季刊誌が多く出版され、その双璧である『現代詩手帳』と『ユリイカ』は、

なけなしの金をはたいて買ったり、古本屋に行っては安くなった既刊本を求めたりした。

 

 

自慢は神田の古書街と中央線沿線の古本屋を巡り、『ユリイカ』の創刊号から10年間分ほどを全部集めたことだ。

この『ユリイカ』は今も手元にあるが、今では手に取ることもなくただ本棚の中に眠っている。

それでもたった1冊の欠番を求めてあちこち彷徨ったことや、

発行部数の少ない『ユリイカ』を沢山在庫していた高円寺の『かんたんむ』(おそらく店主が、「邯鄲の夢」から名付けたのだろう)の

店主の顔などがよみがえる。

 

 

もともと感受性が鈍く持続力は皆無だから、学生の時熱中した詩や短歌も今ではほとんど読むことがなくなった。

チューショー企業の経営に忙殺され鈍くなり過ぎた感性には、詩の言葉が遥か彼方にそびえ立つ山のようで、

麓までの距離がだんだん遠くなり、そのうち登山の夢も霧散したようだ。

それでも地元の本屋に行く時は必ず詩集のコーナーを覗くのだが、どこの書店もいま詩集(歌集)のコーナーは縮小している。

それと共に、詩集(歌集)の新刊の数が圧倒的に少なくなったように思う。

ここ数年は、若い頃に私が読みふけった詩人たちの新刊本に出会うこともなくなった。

出版経営という立場からすると、現在一番割の合わない商品は詩集の発行だと何かで読んだ気がするが、

出版不況の時代にあっては、読者の少ない詩集や歌集が減っていくのも仕方がないのかもしれない。

 

 

現代のように言葉が驚くほど軽く浮遊する時代は、

「言葉を紡ぐ」という、詩人の創作上の立ち位置や行為を維持することが如何に大変なことか、

容易に想像がつく。

画家が一本の線を求め数万本の線を描くように、陶芸家が色の深みを求め限りない試験と焼成を繰り返すように、

たった一つの言葉が降りて来る時を、言葉との格闘の末に待つことが、

そしてその結果生まれた作品が社会的生命力を持つことが、現代では殆ど成立不能になったのだろう。

とっくに詩の良い読者ではなくなった私が、それでも10数年前に感じた思いは、

時代は「詩人受難の時代」であり、「詩が成立する素地」が崩壊した時代になったという思いだった。

詩人という人種がこの国から絶滅する時はもう目の前にある。

 

 

ニュースやTV中継で耳にする政治家の言葉の軽さは、そのまま今の時代や日本人の底なしの軽さを映している。

社会に氾濫する軽い言葉は、もうじき詩人を殺しやがて私達の感性を殺すだろう。

質問されたことに何も答えず、どう考えても関係のない話を延々と答弁し、答弁したという事実のみを重ねて審議終了とし、

新しい法律を作っていく陳腐な政治。

国権の最高機関という場で毎日繰り返される面白くない「喜劇」が、

将来必ず国民を「悲劇」に誘うという「歴史的教訓」はよく知るところだ。

目の前で飽くことなく繰り広げられる政治の「喜劇」は、政治の「内部崩壊」、「自壊」以外のなにものでもなく、

法をバックボーンに持つ権力者のまったく自堕落な権力行使の言動は、ますます言葉を浮遊させ軽くさせる。

 

 

「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた」『魚歌』斉藤史

『2・26事件』で死刑になった栗原安秀、坂井直両中尉と幼馴染であり、

父親も事件に連座して禁固刑を受けた斉藤史のこの歌に接したのは20代の時だった。

女流歌人は、時に我々男が思いもつかない切り口で人間や時代を掴みとり作品に昇華させるものだが、

初めてこの歌に接した時は、暴力を美しいと歌う感性にただ単純に共感するだけだった。

幾つか読みふけった斉藤史の短歌もいまでは口に浮かぶものは殆どなくなってしまったが、

何故かこの歌は何時までも口をついて出てくる。

 

 

この歌の理解も今では少し変わってきている。

青年将校の純粋な<正義>が、老獪で醜悪な軍上層部の「政治」にもみくちゃにされ、

ついには反逆者の烙印を押される様を目の当たりにした歌人の、彼らへの連帯と<正義>を闇に葬った軍上層部への異議申し立てが、

「暴力のかくうつくしき」という言葉に昇華されたのだろうと今は思う。

そしてただ鎮魂の「子守うた」を歌うことしか出来ない歌人のこころにあるものは、大きな諦念だったような気がする。

 

 

それにしても

「ことのはのかくかるき世に住みてひねもす・・」

われわれは何を為すべきだろう。

 

 

↓黒釉徳利花生

「上から目線」がよろしくないように、

やきものも上から見るのははあまりよろしくない。

「やきものは基本的に水平目線で見るように」とは誰の言葉だったか?