去るひと、来るもの
今年の春先は気温のアップダウンが激しく、全国的に桜の開花がランダムだった。
「桜前線の北上」という美しい言葉も今年は聞きそびれた気がする。
桜が咲いても楽しむ素地が無いから、自分の住む町の開花や見ごろが何時かもまったく気にしないが、
それでも桜を目にすると苦手な冬をまたひとつ越えたと実感する。
その桜も近所のものはもう散りかけている。
どういう訳か開花が始まると雨が降り、その後晴れて風が吹く。「月に叢雲 花に風」とはよく言ったものだ。
満開の桜に風が吹き始め、さくら吹雪へと景色が変わり始めた。
桜が咲き始めた3月末から4月上旬にかけて3人の親しいひとを見送った。
3人とも長い入院生活の果てに亡くなったのだが、現代は殆ど例外なく臨終の場が病院になる。
病院のベッドで死を迎えることが当事者にとってどうなのか、今の私には考えが及ばない。
ただ、現代社会においては「畳の上で死ぬ」ということが、社会システムとしても殆ど不可能になっているし、
なにより、私の家も含め畳のない家の方が圧倒的かもしれない。
3人は考え方や価値観に多少なりとも影響を受けた人たちで、当然彼らの死の先にわが身のことを思い浮かべる。
私はどこでどのように死ぬのかということだ。
痛みに対する感覚が人一倍敏感だから痛いのだけは勘弁願いたいし、タンの吸引は父の姿を見ているから御免だ。
と、いろいろ条件を並べてもまったく意味はない。
死ぬ間際「どこで死んでも一緒だよ」とうわごとのように語った詩人の言葉は、いまの私には大きな救いになっている。
自分の臨終を夢想することもあるが、所詮は空想の域を出ない。
客観的に死がカウントダウンに入った状態は、おそらく当事者には何も判らないだろうから。
亡くなったひと達は多少の差はあれ、私の人生に何かを残したひと達だった。
<私>という存在が、時間と空間の<関係の総和>とすれば、亡くなった人たちと<関係の変容>は無くなっても、
<私>を形成する殆ど無限に近い契機のひとつとして、私と共に生き続けることになる。
<私>という存在が消滅するまで、契機としての彼らの存在は、<私>の無限数に近い観念の細胞として生き続ける。
年齢的に多くの死に接してきた私が、現在辿り着いた死ぬことのイメージ・・・・。
さて、
4/11(火)締め切ってある工房の中に燕が入って巣作りを始めたようだ。
車庫を改装して前面に戸を付けたが、前からあった小さな三角の隙間から出入りし、去年蛍光灯の笠の上に作った巣を直している。
去年ここで子育てをし巣立っていった燕だろうが、戻った燕が去年生まれた子供なのか、親なのか燕の生態を知らないから判らないが、
小さな空気孔からうまく出入りしているから去年の燕ではあるだろう。
産卵でもしたら、また巣立つまで色々気を使わなければならないが、縁が向こうから来たと諦めるしかない。
去る人があり、来るものもある65回目の春になった。
↓ もらいものの石灰釉を掛けてみたらそこそこの青白磁が出来た。
三成先生に言わせるとテリが強いとのこと。青白磁はあまり興味がないからもらい薬が終われば作ることもないだろう。
右側の「飛び青白磁」は自分ではいいと思うのだが、次にまた同じように鉄斑紋を出せるか自信がない。
横着で緻密にデーターを取らないからだろう。
↓ こんな小さなところから燕が出入りしているようだ。
気が向いたら入り口の扉を開け放してやろう。