ナナのこと(3)
少数の読者のうちの少数のナナのファンの方へお知らせ
今日(10月1日)9時40分ころナナが死んだ。
車の前に飛び出したナナを轢いてしまってからほぼ5ヶ月経っての死。
7月末、事故後の回復が順調で、元気になった分だけ何度か庭に脱走を企てていたから庭に出したところ、
3時間ほどして戻ってきたが、その間に何があったのか翌日から食事の後に嘔吐をするようになった。
8月2日から通院を始め、血液検査やレントゲン、注射などをし投薬も続けたが症状が一向に改善せず、
8月16日から入院して集中治療室で長時間の点滴を受けたが、これも思うように好転しなかった。
入院中の様子を見に行くと、狭いケージのなかで左手に点滴のチューブを着け、24時間そのままの状態だと言う。
ケージの中には食事用の皿があったが、とても食事がのどを通らないだろうし、ストレスが大きいと思ったので、
病院と交渉して2日で入院を取りやめ、通いでの点滴(7~8時間くらい)にしてもらった。
病院から実家に戻った時のナナの嬉しそうな姿を見ると、通いの点滴は私の負担が多かったが正解だと思った。
だが、結果は全く変わらずだった。
きつい入院や点滴も効果が無かったうえに、体力の低下もあったので自宅での投薬治療に代え、吐き気止めなど病院薬を呑ませたが、
固形食は殆ど吐いてしまい、ペースト状の餌にしたがそれでも嘔吐は収まらず、
口に物を入れると吐くの繰り返しのままやせ細って今日死んだ。
2日に一度くらい大人の小指ほどの排便をしたから、少しは口にしたものを消化していたようだが、
腹の中にガスが充満していて、吐き気が収まらないようだった。
死ぬ2日前まで縄張りの庭に出て、痩せた体でふらふらしながら歩き回っていたが、最後は窓越しに外を見ているだけになり、
昨日からは家の中で姿を隠せるところに潜むようになった。
今朝はもう排泄することもままならず、2度ほど垂れ流した。
気が強い分だけプライドの高いナナの垂れ流しは初めて見たが、こんな姿が一番つらいのはナナ自身だったかもしれない。
私の不注意で起きた事故が原因ではないかと自責の念が消えない。
オペに何かのミスがあったのではないかという思いも湧いてくる。
人は愛するものが死ぬとその理由を探し、自分の心を少しでも納得させようとする。
死んだものが帰るわけではないことを知りながら。
嘔吐は1日3度くらいあり、吐き終わると空腹になるのかいつも食べ物を求めたが、
欲しがるから与えるとまた嘔吐をするという繰り返しで、どんどん痩せて行き死んだ。
最後の晩はミルクも口にせず、私の枕元に来て寝息を立てて寝ていたが、朝見ると見つかりにくい机の下に身を潜めていた。
前夜も私の胸の上に乗りご機嫌にグルグル鳴いていたから、それほど苦しまなかったと思いたい。
飼い猫としての生涯が幸福なものであったかどうか、猫は言葉を話さないから判らない。
大きな事故から回復し、なぜ突然嘔吐を続けるようになったのか、3時間の外出中に何があったのか何も分からない。
向こうに行って好きな父の膝の中で甘えられると思いたい。
どれもみんな生きているものの身勝手な思いだ。
↓
死ぬ2~3日前のナナ。
私が工房で作業していると敵から身を守ってくれる飼い主がいるという安心感からか、
無防備に眠っていた。
これが最後の写真になった。