燕(その2)
5/20頃から工房の蛍光灯の笠に巣作りを始めた燕は7/20現在、
「実はまだ工房にいるのです」
この口調は50年ほど前、つげ義春の『李さん一家』という劇画の唐突なラストシーンの
「実はまだ二階にいるのです」という台詞になぞらえているが、
65歳以上の高齢者に分類された人くらいしか、「李さん一家」のこの台詞は思い当らないかと思う。
燕が来てからは工房が落ち着いて使えず、巣立つ日を一日千秋の思いで待っていた。
何度となく様子を覗くのだが、なかなか巣立ちせずいい加減うんざりし始めた時、
ふと50年ほど前の劇画のラストシーンの台詞を思い出した。
『李さん一家』という作品は、主人公の郊外の一軒家にある日突然、在日朝鮮人の親子4人が勝手に押しかけて住みつき、
鳥の言葉を理解するという仕事もしない主人と、小用を牛乳瓶で済ませて主人公の畑にまき、代償としてキュウリをもいでいく妻、無口な二人の子供らと、
主人公の間に起こる日常を描いた作品だが、唐突なラストシーンが「実はまだ二階にいるのです」という台詞で終わる。
今まで何かのきっかけで全く忘れていた昔のことを思い出すことがあったが、今回記憶の回路がなぜ復元したか分からない。
どうも脳が老化し始めると遠い過去のことを思いだし、直近の記憶を失くすというから私の記憶装置も老化に入ったのかもしれない。
殆ど誰もがそうであるように、私の「黄金時代」も10代後半から20代だったので、砂漠に埋まった黄金の記憶の一片を脳が掘り出したのかもしれない。
歳を取ると、脳が記憶に値する刺激的な時間を過ごすことが少なくなるので、
若い頃の記憶ほどには最近の記憶は鮮明に浮かび上がらないのだろう。
さて、
我が家の燕も「実はまだ工房にいるのです」だ。
小さな巣の中に5個の卵を産み、うち一匹は巣から落ちて死んだ。
一度は下の網(私がつくったセフティー・ネット)の中で見つけ巣に戻したが、
翌日また落ちていて、見つけた時はもう弱っていて巣に戻しても蘇生しない状態だった。
親鳥は巣の直下に落ちたヒナには餌を与えないようで、気付いた時は手遅れだった。
燕の巣立つ確率は案外低く、卵の数だけ生存することはないという。
どうもヒナには生存競争の原理が働くようで、狭い巣の中で生きる力の弱いものは排除されるようだ。
驚くのは、ヒナは自分の巣の中をフンで汚すのが嫌らしく、巣からお尻を外に向けてフンをする。
結果、ヒナ受け用に設置した網はフンだらけで、フン受け新聞紙の交換が私の仕事になった。
支援者にケツを向けフンをする燕は、可愛いものでもない。
中には工房の中を飛び回って巣立ちの練習をしているヒナもいるから、巣立ちももう直だろう。
やれやれだ。
今日(7/21)覗いたら、2羽が巣立っていた。
こんなに煩わしい思いをするならば、来年はもう御免こうむりたい。
↓焼き締め桶花入
形にもう少し工夫が必要か。
この手の花生には椿(侘助)などの木花が似合うと思うが、
この形は割合に花を活けるのが難しい。