国宝の青磁作品について(その1 青磁下蕪花生)

Web 悠果堂通信

意外なことだが、日本の国宝に指定されている陶磁器(やきもの)は14個しかない。

そのうち和物(国産)は5個、残り9個は唐物(中国産)になる。

9個の唐物(中国もの)のうち「青磁」が3つで、これらは宋から元時代につくられ日本に渡来したものとされている。

 

 

国宝や重要文化財に認定された陶磁器はすべて来歴がはっきりした作品で、時々の権力者(武将)の手を経て、

明治以降の日本の近代化過程で巨万の富を築いた財閥の創始者の手に渡ったものが多い。

要するに、「氏素性のはっきりしたもの」でないと陶磁器の場合は国宝や重文指定は適わない。

いいものであれば氏素性は問わないというのは貧者の発想のようで、やんごとなき人々には通らない価値観かもしれないが、

国宝14個のうち3個が青磁というのは、いかに日本人が青磁を長く深く愛玩してきたかという証左であろう。

 

 

陶磁器の中でも青瓷(青磁)を最も好む私は、折を見てはこれらの3作品を見に行くが、

時には美術館の都合で公開されていなかったり、他の美術館に貸し出されたりしている。

それほど人気があるということだろう。

普段は美術書で見るだけだが、美術館に足を運び3作品をはじめとした重文の青磁も何度か現物を見ているが、

何時見ても印象が異なり、かつ見終わった後の疲労感がとても深いのはなぜだろうか?

 

 

「下蕪青磁花生」はアルカンシェール美術財団の所有になるが、東京国立博物館に委託してあるのか、

東博で独立したケースに入れら展示されているので360度どの角度からも見ることが出来る。(東洋館改装前の話、今は不明)

正面から見ると「鍔(口)」の部分が少し傾いていることと、「蕪」の部分が窯の中で温度が上がり過ぎ、

土の融点に達してヘタる寸前に火を止めたのか正円ではなく微妙に歪んでいる。

普段は写真で見ることが多いが、このふたつの特徴は少し観察すれば写真でもよくわかる。

前回、東博でこの作品を普段撮影される側ではない後ろから見た時、窯疵があることを知って驚いた。

わざわざ、疵の有る側を撮影することも無かろうから、だまされたとは思わないが学習資料として眺めるときはやはり困る。

 

 

もともと、「鍔(口)」が少し傾き、「蕪」の部分も微妙に歪んでいて、尚且つ背に「窯疵」があっても、

それらの欠点を補っても余りある美しさがあるからいにしえの人々を魅了し、今日まで大切に伝承され国宝に認められたのだろうが、

「砧青瓷」と呼称される釉調は、何故か現在まで再現されていないと個人的には思っている。

現代の基準から見ると、それ以上の釉調は再現できているかもしれないが、この作品が持つ深みはまだ再現されていない。

加えて、宋時代を頂点とする青磁の釉薬は、ほとんどがが現代のものと比べて薄いにもかかわらず深みがある。

 

 

国宝「下蕪青磁花生」は、ある程度のろくろ技術を習得した人には特段難しい形ではない。

鍔や蕪と首の幅、首の長さと全体の比率などを調べ、腕のいいろくろ師に挽かせれば形だけは近づくかもしれない。

首のラインに非常に控えめなカーブがあるが、これとて挽けないカーブではない。

そう思って何度も下蕪花生を作ったのだが、私の作る形は形だけでも本歌の足元に及ばない。

作意が強すぎるのか、それとも美を生み出そうとする情熱が不足しているのか、さりげなく作ることが出来る技術がないのか判らないが、

形自体が及ばないから青磁釉を掛けても良くある写しの作品になってしまう。

本歌の持つ気品がほんの少しでも作品に生み出せれば、20数年にわたる素人陶芸も報われるのだが道は険しい。

 

 

鈴木三成先生に「下蕪青磁花生」を作ってくれるよう頼んだことがある。

生真面目な先生は美術書から各部位の寸法などを調べ、スケッチを取り始めたが、

正円がヘタリはじめて微妙に楕円になったラインが難しくて苦しんでいた。

加えて、現代に生きる我々は、当たり前だが現代という時代の美意識に中に生きているから、

無意識のうちに平成の「下蕪青磁花生」になってしまう。

美が作者が生きる時代に規定された個性の発露である以上、時代の枠を超えることは不可能だから仕方がないのだが、

たとえ同じ作品を作ることが出来たとしても、国宝の持つ気品だけは甦らせることが出来ないかもしれない。

先生に頼んだ作品はまだ出来上がっていない。

 

 

 

↓国宝の青磁の話のあとでこれというのも赤面の至りだが、GWの薪窯の作品。

釉薬が上手く溶けず電気で焼き直したのだが、「ゆず肌」になってしまった。

花を生けるには生け易いからいまはアジサイを突っ込んでいる。

形は上手く挽けたのだが、所詮やきものは焼き上げてナンボ。うまく焼けなかったからこれも失敗作。

 

土曜日に20年以上薪窯を一緒にやっていた友人が来て、体力的に厳しくなって来たから陶芸をやめると言った。

私にもそういう日が来るのだろうか?ひどく寂しい一日になった。

 

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は泉佐野市の久保惣美術館の所蔵になるが、