処理できない思い
16年前の2000年1月に工事現場からバックホウ(掘削機)が盗まれた。
沼津インター線という場所で電線共同溝の工事をしていた時だ。
このバックホウは、前年暮れに排ガス対策の新型エンジンに載せ替えたばかりの重機で、
初陣ともいうべき現場での盗難だった。
昔も今も、工事現場から重機や工具を盗む、殺しても飽き足りない輩は絶えることがない。
極言すれば、どのように盗難防止策を講じても職業として盗む奴らの方が上手で、昼のうちに物色・下見をし、
人のいない深夜の現場にトレーラーを横付けし、盗難防止策を解除し盗んでいく。
終業時に盗難防止策をしても、盗む方はそれ以上の時間と手間を掛けて盗んでいくから防ぐのが非常に難しい。
加えて、被害届を出しても警察はほとんど動かないから犯人が捕まるケースはまれだ。
重機盗犯は広域的に活動するから何かの折に逮捕され、余罪として自分達の事案が浮かぶケースもあるが、
その段階では、盗まれた重機は所在不明や「善意の第三者」の元にという場合が多い。
1000万円した重機で会社にとっても私にとってもショックは大きく、その後長く悔しい思いを引きずった。
現場監督や重機オペを叱っても当然重機が戻るはずもなく、彼らも打てる手は打って終業していたから、
1000万円の投資が、1か月も経たないうちに霧散した無念さをぶつける相手が、姿形すらないという悔しさを味わった。
盗まれた分をその現場で儲けようと社員には掛け声をかけたが、その実1000万円の霧散はやっぱりショックだった。
その後、16年前の盗難を知る社員と「うちの重機は東南アジアあたりで頑張っているかな」などと「引かれ者の小唄」のように軽口を叩いていたが、
その重機が栃木県で発見された。
私の会社の重機の殆どを占めるコマツから5月中ごろ連絡があり、コマツの系列会社の客が長く使っていたが、
古くなったのでコマツに引き取りを依頼し、コマツがそれを中古重機オークションに出品したところ落札者が盗品と気付いたそうだ。
もちろんコマツに引き取りを依頼した客は「善意の第三者」で、長年盗品と知らず所有していたそうだ。
説明によれば、既に死んだという個人から「S通商」という中古重機専門の会社が買い入れ、それをコマツに転売しコマツが客に売ったという。
盗難から2週間ほどして個人が売りに来たということだ。
盗んですぐに会社の名前を消したりして偽装したのだろう。
個人が1千万円の重機を売りに来た時、買い手がおかしいと思えばその段階で発見されたと思うが、買い手もチェックをしなかったのだろう。
商売になれば多少違和感があってもということだろうが、ビジネスモラルの低下も酷いものだ。
違法な金の「マネーロンダリング」をよく耳にするが、重機も何度か回転させ本来の所有権を分からないようにするのだが、
毎年の年次点検時にも、全国にまわっている「車両捜索依頼書」と照合もせず、16年間放置したままとはあきれる。
この話を初めて聞かされた5月中旬、その日は一日嫌な思いで過ごした。
コマツの担当者が来て平身低頭しながら顛末を説明してくれたが、私にすると当然楽しい話ではなかった。
なにより、
小さい時誘拐された子供が他人のもとで育ち、16年後に何かのきっかけで自分の子だと告知されたような気分を味わった。
今更ボロボロになって使いようのない「私の重機」を経営上どうしたらいいのか困惑もしたが、
こうした名づけようのない思いは心の中で処理が難しく、その日はひどく憂鬱だった。
盗んだ輩は殺しても飽き足りないが、その先に登場する企業や担当には「もう少し丁寧に対応してくれれば」という、
愚痴めいた思いしか持てない。
「ぶつける対象のない怒り」に遭遇するのはいつだって辛いものだ。
長く生きていると怒りを鎮める着地点が見い出せない出来事に出会うことがあると知ったが、
こんなことは当然知らない方がいい。
盗んだ奴以外は、「善意の第三者」が円環する出来事で、被害者が一番間尺に合わないことがどうにも腹立たしいが、
救済されるべき被害者が一番損をすることは世の中によくある話だから、この思いも時間の流れに捨てるしかないのだろう。
ちなみに「盗犯」の時効は7年だそうで、時間が経過すれば<罪>が問われないということも被害者にとって間尺に合わない。
↓
蕎麦釉壺
GWに薪窯が終わった後に電気窯で焼いたもの。
強還元で一度焼き、その後酸化で焼き戻した。
蕎麦本来の釉調はもっと明るいのだが、こうした渋い感じが最近は気に入っている。
評価としてはどうか分からない。
ちなみに、前の記事に貼り付けた「蕎麦」は薪窯のもの。