種蒔く人
11/28 菅原文太が死んだ。
俳優・高倉健の「後を追うように」といういう言葉が多くのマスコミから流れたが、的を得た言い方だと思う。
学生のころは映画青年だったので菅原文太の映画はよく見たが、代表作は「仁義なき戦い」だと思っている。
「トラック野郎」はあまり好まなかった。主人公の軽さが予定調和的で歯がゆかったからかな。
どういう心境か判らないが、妻が亡くなった後、突然「仁義なき戦い」のシリーズが見たくなりDVDを求めて2回ほど観た。
この映画を妻と一緒に観た記憶はないから、妻の死とどう関連付くのか判らないし、若い頃に多く観た名作映画のなかで何故「仁義なき戦い」だったのか、自分の中で答えが見当たらない。
妻の死後、改めて観たいと思った映画(DVD)が「仁義なき戦い」と「ゴッド・ファーザー」のシリーズだった。
自分でも唖然とする選択だったがこれだけは仕方がない。
どちらも暴力が大きなテーマの作品であるが、2作とも上質の映画だから単にいい映画を見たかっただけだろうか。
それとも小市民なりに、妻の死に対する不条理感が心の奥底にあるかもしれない暴力性を引き寄せたのだろうか。
菅原文太は、長男の死と東北の震災を契機に映画から離れ、一個人として<農の復活>と<戦争反対>を語りだした。
映画人としての上等な立場を捨て、反自民党的な言動を繰り替えしたが、内なる危機感や怒りを抑え切れなかったからだろう。
生来が卑しい私は、文太の政権批判的な姿を見て、与党を批判したら彼らが握る政治的な思惑の「名誉」から遠ざけられると思った。
だから、「戦争反対」も「農の復活」も至極全うな主張なのだが、見ていて少しハラハラした。
まあ、「名誉」など他人が勝手に評価して与えるもので、良くても自己満足以外の何物でもないが、
自分の卑しさを源泉とするこのハラハラ感は、私の小市民性の証明かもしれない。
「自分で自分を褒めてやりたい」とはマラソンの有森裕子。
本当に何事かやりきった時は、他人の賞賛や評価より先ず自分で自分に掛ける言葉が出るのだろう。
若しくは「人知れず微笑まん」か。
昔から他人に褒められたことはあまりないが、自分で自分を褒めてやりたいと思ったことはもっと少ない。
仕事上で人知れず微笑んだことは何度かあるが・・。
社長業は誰も褒めてくれないから、苦労して仕事がうまくいった時など一人でニンマリするしかない。
「『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。」
菅原文太に似合いの奥さんだったのだろう。美しい言葉だ。
私はこれからどんな種を蒔けるのだろう。
合掌
(白磁筒)