web悠果堂美術館通信(9) 人間国宝のやきもの その2

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デパートの美術部に勤める後輩によると、「人間国宝」というブランド力はやはりそれなりのインパクトがあり、

彼らにとっても売りやすい商品になるという。

「人間国宝」という俗称は、誰が言い出したか知らないがいつ聞いてもインパクトは強いものだ。

ところが、年に5~6回程度東京や大阪で開催される(古)美術商や愛陶家を中心にした、いわゆるプロのオークションでは、

競争が熱を帯びたり落札価格が高額になるのは「人間国宝」以外が多く、高額な「人間国宝」ものは意外と少数だ。

 

 

いつも人気を集め、価格が高額になる作家を思いつくままあげてみると、

板谷波山、加藤唐九郎、岡部嶺男、楠部弥一、北小路魯山人、加茂田章二、八木一夫などだ。

彼らは、文化勲章受章や人間国宝の指定取り消しや辞退、高村光太郎賞などの経歴があり、それぞれ相応しい評価を得ているが、

加えて、市場に在庫が少ないからその希少性も大きな付加価値となって、価格は高値安定または右肩上がりとなっている。

希少性という価値が、作品それ自体の評価要素になるとは決して思わないが、

私たちはどうも「限定」だとか「稀少」という言葉に弱いから、通常の評価に対して大きな付加価値になることだけは事実だ。

 

 

人間国宝と言われる作家で高額になるのは、作品の出来不出来にもよるが、

加藤土師萌、藤本能道、14代柿右衛門、鈴木蔵、荒川豊蔵、10代、11代休雪などが目立つ。

これらの作家作品も上手(じょうて)と言われる作品はあまり多くはなく、比較的求めやすい前作ものもある。

作品が高額だから若しくは稀少だから優れた作品とは思わないが、やはり「値段は正直」でいいものに人気が集中するのは、

ブランド力だけではなく作品それ自体の評価、力があるからだろう。

 

 

「人間国宝」に指定された作家の認定理由を見ると、大雑把に言えば、

過去に途絶したやきものの技術や美を現代に復元、再生させ発展させたことによる指定があり、

他方、過去から続く伝統的やきものに新しい解釈や技法を加えたという評価によっての認定がある。

最近は前者の理由による指定は少なく、後者による指定が圧倒的になっている。

 

 

 

日本のやきものの評価は、多くが桃山時代のそれが頂点にあるというのが基本で、

口さがない人によれば「桃山と名が付けば何でも高くなる」ということになるが、この評価は「土もの」所謂陶器のことだ。

中国に「陶は政なり」という言葉があり、やきものは時の政治状況や皇帝の支配力の強弱を反映するということだが、

長い戦乱の後に花開いた「桃山文化」と言われる絢爛たる文化が、桃山時代のやきものにも反映しているのだろう。

個人的には、骨董屋が「これは桃山の・・」というと、100パーセント信用しないことにしている。

桃山時代のやきものは確かに魅力的だが、市場にある確率はゼロに近い。

ちなみに中国陶磁器の頂点は諸説あるが、一般的には南北宋時代ということになっている。

日中に限らず、これだけ科学や技術が発達した時代になっても、頂点の時代が数百年前とはこれ如何にである。

現代文化の成熟度が、桃山時代や南北宋時代に劣るということだろうか。

 

 

ところで、最近はやきものの人間国宝も「粗製濫造」と感じる時がある。

なぜこの程度のレベルで「人間国宝」かと思う作家ややきものが目立つが、

そんな批判を時々耳にもするから、この思いは私だけではなかろう。

背景には、窯業地つまり歴史的なやきもの産地の仕事に関わる人々の生活や伝統を守るため、

産業振興の下支え策として「人間国宝」のブランドが必要とされる、という側面があるのではないかと思っている。

どうしても「人間国宝」を出したやきものや窯業地と、冠のないそれらでは売上高にも差が出るようだ。

これは私のうがった見方だが、あながち的は外れていないと思う。

 

 

やきものも含めた美術品の市場も他の市場と同じく、放置しておいて活況を呈するものではない。

市場を活性化するには何らかのテコ入れが必要になるから、伝統的な窯業地が「人間国宝」の看板を欲しがる気持ちもよく判る。

<美>は生活の必需品というものでなく、生活に潤いや豊かさを生むものだけに「生活のゆとり」が大きな原資で、

好不況に一番左右される不安定な市場ともいえる。

 

 

 

(黄瀬戸下蕪瓶)

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