バラエティーなんか見たくもない(テレビが輝いていた時代)

お知らせ

子供の頃、村一番の裕福な家にはよく手入れされた大きな庭があり、池があった。

池には多くの金魚や鯉が泳ぎ回り、テレビと言う村でその家だけにある「宝物」があった。

埃まみれのガギどもは夕方になると砂糖に群がる蟻のようにその家の土間に集まり、食事中の家族の食卓越しに夢中でテレビを鑑賞させてもらった。

時間的には夕方5時半ころから7時か8時ころまでだったろうか。

『名犬ラッシー』とか『名犬リンチン』など、アメリカで人気のあったドラマをよく見た記憶がある。

(2作はどちらも「名犬」が付くが中身は全く異なる。どちらも今では無くなったアメリカの正義とヒューマニズムが謳われていた)

そこの家の子は私も含めたガキどもから「さん付け」で呼ばれていたから、子供なりに貧富の差を実感していたのだろう。

 

 

私の家はその素封家から遠かったので、夢中でテレビを見ていて遅くなり、帰りの暗闇が怖くて息を切らして帰った記憶が何度かある。

暗い畑道やそびえ立つ大木の下を通り、最後に川にかかった幅20㎝ほどの丸太を渡るのが近道。

回り道は近道の3~4倍ほどの距離だが少し人家のある道。

早く帰ろうとして近道を選び、暗闇の恐怖に後悔した記憶が鮮明にある。

 

 

今も私の人生で繰り返される「選択の苦渋」は、このころからあったのだろう。

昭和30年代初めの頃だろうか、日本がまだ貧しい時代は、闇も濃く、深かった。

そして記憶の底にある例えば大きな木は、今見ると驚くほど小さい。

 

 

暫くして各家庭にテレビが普及したが、どの家のテレビも画面を保護するためのものか、刺繍の入った厚手の布が掛けてあった。

テレビの付属品として厚布は付いていたように記憶している。

当時は放送時間も今のように24時間連続ではなく、夕方の番組放映前は「テストパターン」という横に筋の流れる時間帯があり、

早く番組が始まらないかと、子供らはじっとその変化のない画面を見ていた。

 

 

学校の教師にとってテレビは子供の勉強に大きな障害になるから、鑑賞時間が少なくなるよう家族で話し合えと指導していた。

大宅壮一が「テレビは日本人1億を総白痴化させる」と言ったのは、しばらくたってからだったろうか。

テレビの存在は家庭にとっても教育にとっても大きな影響力を持っていて、子供の娯楽は外遊びとテレビが圧倒的だった。

1台のテレビの前に家族が勢ぞろいという風景は、いつ頃この国から消えたのだろう。

そういえば、部屋の電気を消してテレビを見るという習慣もあった。

 

 

かつて村に一台だったテレビは今どこの家庭にも数台あり、「宝物」だったテレビはあって当たり前のものになっている。

日付が変わる頃になると終了した番組も、今では殆ど24時間放映しているようだ。

その分、番組も多作になり、手間暇かけて作ってはいられないのだろうか「粗製濫造」の番組が多い。

「スタジオバラエティー」といういつもどこかで見た「お笑いタレント」を動員し、ゲストに少しトウのたったタレントを加えて、

自分たちの楽屋話や、私的な話、知ったかぶった啓蒙話などを繰り返す2時間ほどの番組が多い。

この手の番組は毎日放送しているから、誰だって出演の男女10名の名前をあげろと言われれば、簡単に言える顔ぶればかりだ。

 

 

私の年齢ではバラエティーと言われる番組は楽しめない。

きっと若い世代には分かるが、私の年代では判らない面白さがあるのだろうが、

面白さが全く分からないから見ることはない。

2時間ほどの番組にどのくらいの予算をかけるのか知らないが、

「お笑いタレント」の収入を考えると、安い金額でもなかろう。

せめて、見たくないCMにまで付き合わされるのだから、もう少し丁寧に作った「笑いのない番組」を見たいものだ。

この手の番組は視聴率が取れないだろうから、スポンサーは敬遠するだろうが。

 

 

ゴールデンタイムと言われる時間帯に、60過ぎが夢中になれる番組はあまりないから、

殆どニュースばかりを梯子するが、この時間帯はニュース番組もあまりない。

テレビが一晩中放映を始めた時期が何時ころかは知らないが、きっとこのころから、

私にとってのテレビ黄金期は終わったのだろう。

「24時間テレビ」とかいう番組で、タレントに長距離を走らせ番組が終わる頃にゴールさせる企画がある。

ことさら感動シーンを作っているようで、企画自体に鼻白んでしまう。

感動はその効果を計画して作るものでなく、自然に生まれるものだろう。

 

 

 

(焼き締めしのぎ花生)

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