貧乏人の子沢山
ホームページに若干の修正を加えた。
ひとつは、『web悠果堂美術館』にアップしてあった「私の作品」に作品名を付けたこと。
自作品をプロ作品と一緒に掲載することが、図々しいことくらい十分承知しているが、
まだまだプロ作品のアップに時間がかかるので、以前撮った自作品の写真をアップした。
「枯れ木も山の・・」というやつだ。
作家の作品掲載が終了したら「私の作品」は消去するつもり。
知人から素人作品とはいえ名前ぐらいつけるよう言われ、作品名を付けてみた。
欲しい人には多少指名しやすいかも知れない。
次に「社長独白」に私の作品の写真を張り付けた。
「氷山の一角」と言う言葉があるが、これらは私の作品群のそれに当たる。
文章だけよりも多少は色気があると思うが・・。
『施工実績』にはH26年度分の施工例を2件掲載した。
完成検査の終了した工事(評価の定まったもの)を掲載するので、どうしても前年度の工事になってしまう。
H27年度分は早めに掲載するつもりだが・・。
さて、「貧乏人の子沢山」と言う。
私の陶芸は、「知識」、「技術」、「発想」など極めて貧しく、それゆえ「子沢山」ならぬ「作品沢山」だ。
とにかく飽きもせずよく作るが、当然素人のものだからそれほど捌けるわけはなく溜まる一方だ。
5年に一度くらい個展をやるが、作る量が多すぎてとても捌き切れない。
多くはベランダに並べて放置したままだが、ベランダは亡妻が残した猫2匹の運動場で、
彼らがよく作品を割る。
中には愛着や思い入れのあるものもあるが、当然猫には関係なく、林立する作品の中で暴れては倒し、割れ、欠けさせる。
どうせ破損させるのならば、すっきり粉々に割ってくれた方がいいのだが、倒して口縁が欠けるケースが多い。
トドメは猫共では無理なので私が割るのだが、猫たちに割られる前に少し写真で残そうと過日一部を撮影した。
「社長独白」のページに貼り付けたのでご高覧賜りたい。
ベランダに置ききれない作品は大きな3段の棚を作って会社の裏の軒下に。
これらの作品はホコリと蜘蛛の巣と落ち葉に覆われ眠っているが、嫁ぎ先が決まって水洗いすると窯出し時より美しく感じるから不思議だ。
作品置き場を求めてとうとう実家に進出し、実家の8畳間においても置き切れず、
やむなく父の死後放置したままの実家の納屋を3日かけて掃除し、そこに新しい置き場を確保した。
懸案だった納屋の掃除が出来たことは怪我の巧妙か。
工房はいつ作ったか不明な作品でいっぱいで、施釉中のものや素焼きのものすら置く場所もなく、
手狭だから多くは新聞紙にくるんで段ボール詰に詰めて重ね置き。
何かの折にに箱を開けると、忘れていた自分の作品に驚くこともある。
工房とは名ばかりの物置のようなものだ。
私の陶芸は、「貧乏人の子沢山」を地で行く有様だが、きっと貧乏人にとって子作りが楽しいように、
アマの私にとってはさほど評価や価格を気にする必要もないから、作ること自体がとても楽しい。
貧乏人が沢山作った子にそののち苦労するように、作りすぎた作品に私も苦労するのだろうか。
作品置き場の苦労はとっくにあるが・・。
それとも育てるのに苦労した分成長した子供に支えられるように、
多作が何かをもたらしてくれるのだろうか。
下記の写真をクリックすると画面が拡大します。
拡大してみるほどの作品でもないかもしれないが。
( 自然釉耳付き砧花生)