法則と補正
一応は技術屋の端くれだから数字には拘る。
商売柄、施工の時は使用材料の数量で施工時間や員数、ロス、粗利などは事前に想定できる。
アクシデントが起こらなければさして難しいことでもないが、「現場は生き物」だからなかなか想定通りにはいかないが、
ある程度のロスによる「補正」までは想定可能になっている。
チューショー企業主としては当たり前のことだが・・。
昔、男にとってふさわしい恋人の年齢は、「男の年齢÷2+10」という数式を読んだことがある。
30歳の男ならば30÷2+10=25、40歳は40÷2+10=30と検証していくとそれなり説得力のある法則だと感心した。
この数式で、キーポイントは「+10」という補正値ではないかと思っているが、何処から導き出したものかはわからない。
もちろんこの数式は、一般的な生活感覚では法則性があるが、当然世の現実は違う。
チャンドラーのように18歳年上の女に恋い焦がれることもあるから、現実は法則通りにはいかない。
世の現実が法則通り行かないのは、大人ならば誰だって分かることだし、
自分になぞらえてみれば現実との落差にも気付く。
私にふさわしい恋人の年齢は63÷2+10=41.5。まあ計算上は40代前半の女性になる。
渡辺淳一の小説ならば初老の60男と40前半の和服姿の人妻が、京都あたりでも散策すれば大人の恋物語にもなろうが、
(渡辺淳一も、最後まで男女の「色恋沙汰」に固執したから生島治郎やチャンドラー並みに「タフ」だ。)
現実は薄毛で猫背気味の疲れた60男と、スーパーの買い物袋を下げた厚化粧の40女では絵にもならない。
個人的には、社会から徐々に居場所をなくしていく初老の男と、若さを失い始める中年の女のそれぞれが社会や生活に縛られ、
渡辺風の色気などあったものでもない「打算と純粋」の恋愛劇の方が、人間の本当の姿として面白いと思うが、
作家としては筆が載りにくいだろうし、作品としてもさまにならないだろう。
「ひとは生きた歳月の分だけ、死んでからも記憶が残る」という仮説を立てたことがある。
残念ながら、この仮説も現実との乖離を持つ仮説で、現実の方が複雑だから「法則」とまではいかない。
更に、ある年齢(おおむね50歳)を下回ると成立しなくなる。
「恋人の年齢」のように何かの補正をしなければならない「数式」だが、なぜこんな「数式」を考えたかは自分でもよく判らない。
誰かこの「数式」がすべての年齢で成り立つ「補正値」を考えてくれるといいのだが・・。
妻は61歳で亡くなったが、長男はその時31歳、長女は26歳で孫はいなかった。
妻の記憶は、彼らが老いの果てに死に臨むときまで残るだろうから、60年程は彼らの中で記憶として生き続ける。
そして、その後に残るのは記録としての死者だけになる。
(窯変天目壺)