土に還る
『土に還る』は鯉江良二の代表的な陶芸作品。
初めてこの作品を見た時の衝撃は大きかった。
御存知ない方のために作品紹介をする。
本人の(デス)マスク(生きている作者のマスクだからデスマスクという謂い方が適当かどうか?)をかたどった土が、
徐々に風化(崩壊に向かう変化)するさまを数段階に分けて焼成しない土で表現し、やがて一つの土塊になるという<時間>を内包した作品。
「土に還る」というメッセージ、時間の流れ、焼かない「やきもの」、マチエールとしての土、などを表現した感動的な作品だった。
この作品はいくつかのパターンがあるようだが、陶芸作品に「土に還る」という思想性の強い題名もまた衝撃だった。
鯉江良二という作家は、その後も「ヒロシマ、ナガサキ」シリーズや、反原発をテーマにした「チェルノブイリ」シリーズなど
メッセージ性のある作品を発表し続けており、かつ作品の出来、不出来の振れ幅が極端に大きい多作の作家かと思う。
ろくろ引きの終わった作品を移動する際落としてしまっても、それを失敗とかミスと考えず、焼成するという離れ業の持ち主。
「なんでもあり」の作家で、その自由な作陶姿勢がファンにはたまらないのだろう。
何よりも陶芸作品に「用」や「美」、「抽象性」のほかに「社会性」「メッセージ性」を具現化した作家として位置づけられると思う。
今年2月に和光で見た焼き締めの花入3本は、やきものの本流に位置する「茶陶」としての花入で土味(設楽の土?)がよく、
土への拘りが強い作家でもある。何処の土か不明だが、私には真似できないしっとりとした土味だった。さすがプロ!
閑話休題。
5/31に妻の3回忌と納骨をした。納骨時期が仏教流と比べ遅いのは私流。
妻がこれから長い時間をかけて「土に還る」と思ったが、納骨の際、墓に眠る父や妹の骨壺の中を見たところ,
「土に還る」きざしすらない父と妹のほとんど焼きあがったままの白骨があった。
ひとは死んで「土に還る」???
母方の祖母が亡くなったのは50年以上前で、当時は土葬だった。
祖母の埋葬は私が立ち会った最初で最後の土葬だったが、幼いながらも土中に埋められた祖母が、
やがて骨になり、その骨も徐々に「土に還る」というイメージを長い間抱いていたが、
ことによると、まだ祖母は骨の姿で土中に眠っているのかもしれない。
そういえば、工事現場から人骨の一部や、動物の骨が出ることがたまにあるが、
どの位の時間が経過したものなのだろう。
子供の頃、亡くなった人は骨壺の中でやがて液体になり、それも徐々に蒸発して無になると聞いたが、
父も妹も骨のままだった。
私は何か見間違えたのだろうか?
それとも、父や妹はゆっくり、ゆっくりと悠久の時間を流れながら無に向かっていたのだろうか?
少なくとも人が「土に還る」のは、私の想像をはるかに超える時間の流れの果てだと知った。
死んで「土に還る」ならば、良質の陶土になりたいと思うが、
骨壺に入ったのでは早めに「土に還る」ことも難しいかもしれない。
ま、「死ねば死にきり 自然は水際立っている」(高村光太郎『死ねば』)からいいけどね。
「どこかに還る」という「還る」ところが、思いとして残れば・・。
(青瓷壺)