ひとは、つらいよ その2
ひとは「しっかり」とか、「タフ」、「強い」などの表現は別として、こうした「力」を持たないと生きていくのが容易でない世の中だ。
人を抑えて自分の地歩を固めたり、強引に従わせるような「力」は年齢のせいか、今ではあまり必要ないと思う。
だが「専守防衛」ではないが、悪意が自身に降りかかった時、対応できるだけの「力」は誰にとっても必要不可欠だろう。
「力」を行使する時は抑制的な方が効果的だと思うが、「力」のある立場にいるものが抑制的であったためしはない。
「タフさ」や「強さ」は経験的には一朝一夕には身に付かず、
例えば反射神経や筋力と似て、いつも鍛えていなければなかなか身につくものでも、いざという時に役立つものでもない。
こうした力は、「養うに千日、もちうるに一日」の類のものだろう。
「強さ」や「タフさ」を養うため、何を為すべきかというと漠然としてくるが、
「強さ」はそのひとの価値観に収れんする<確信>かと思う。
「信念」というエネルギーがとても稀薄な私が、知ったかぶってお恥ずかしいが・・。
「優しさ」は少し性格が違うかもしれない。
「優しさ」は日常の場面でさりげなく求められる性格のものだと考えている。
ことさら鍛え上げる物でもなく、自分を覗き込むように相手を覗けば立ち現れるものだろう。
育った環境などにより醸成される要素かもしれないし、先天的な資質も関係するかもしれない。
優しくあるため「自分がされて嫌なことはなるべく他人にしない」と自戒しているが、
いつも思いと逆に行動してしまうから、私は優しさに欠けるのだろう。
「強さ」と「優しさ」が相反する要素とは思わないが、
両方を兼ね備えるということはなかなか難しいことだ。
まったく、チャンドラーも面倒な「名言」を残したものだ。
さて、日本刀の優れたところは、全体が同一の鉄で構成されているのではなく、刃の部分が持つ硬鉄と、
芯の部分が持つ柔らかい軟鉄が合体されて作られているところだそうだ。
これは他の刀剣にはない構造で、日本刀が良く切れるが折れにくい、曲がりにくい秘密だそうだ。
一本の刀に柔と剛がバランスよく構成されているから強くて美しくひとを魅了するのかもしれない。
「強くなければ・・」「優しくなければ・・」というチャンドラーのセリフを一番体現しているものは、
ことによると今のこの国では日本刀だけかもしれない。
「つよさ」と「優しさ」という両方を備えていないと、「生きていかれない」、「生きていく資格がない」としたら、
まったく生きていくことは面倒なことだと思う。
ところで、
チャンドラーは生島治郎と似て、作品も面白いがその人生も「タフ」で作品並みに面白い。
彼の人生をざっと俯瞰すれば、
幼少期の父親の失踪(父親はたしか私と同じ土木技術者)、母親とアメリカから英国への移住、英海軍への勤務、
その後アメリカへ戻りカナダ軍への入隊と戦闘参加などを経て、
18歳年上のシシイとの恋愛と結婚、
(母親は当然猛反対で、母の死後に結婚。まあ女手ひとつで育てた息子だから反対も当たり前だろうな)
その後、石油会社の副社長まで出世するも、飲酒、常習的欠勤、女性社員との不倫などにより解雇。
作家として認められるも、妻の死去による寂しさからのうつ病とアルコール依存、
最後に彼の面倒を見た4人の女の著作権をめぐる争いなど、作品も抜群に面白いがその人生も面白い。
作品にみられる微妙な同性愛的傾向。おそらくマザコン的な性格など、人生が作品とも言えそうだ。
チャンドラーも生島治郎も小市民には真似できない生涯だが、今もって色褪せることのない<作品>を生み出すため、
彼らには破天荒な生き方が必要な磁場だったのだろう。
「無から有」を生み出す作家や芸術家という存在も、またつらいものだ。
誰かの歌の文句
「男もつらいし 女もつらい 男と女はなおつらい
それでいいのさ いいんだよ」
寅さんだけじゃなく、ひとはみんなつらい。
(桧垣文白化粧花生)