花に嵐の
日本の会計制度が3月末を年度締めとしているので、例年正月明けから3月末は非常に忙しい。
公共工事を施工する身の宿命かと思うが、宿命とはいえ辛いものだ。
この時期辛いことは、寒さと日照時間の短さ、そして昭和の時代と比べて冬場に降雨日の多いことだ。
別段、年号が変わったから降雨日が増えたのではなく、4半世紀くらい前までは冬場に雨はまれで、
2ヶ月くらい雨が降らないことがよくあったが、今は冬場でもよく雨が降る。
地球温暖化が原因かと思うが、冬場の一日が雨でつぶれると大きな痛手を被る仕事を長年やっているので、
この辛い実感には確信がある。
3月末を過ぎると、請負金の回収やら現場の精算、材料費などの支払い、仮決算など、現場とはまた別の仕事に追われ、
例年気付くと桜の花も若葉という有様で、花見(その下での宴会)ということはまったく経験がない。
私の会社を愛鷹山に向かって5分ほど行くと、川に添って桜の木が1キロ以上植えられている場所がある。
誰がどのような思いで植樹したのか知らないが見事な並木だ。
川沿いの小道をおおって桜並木が続くが、場所が生活道路の下にあるせいか、
あまり気づく人もなく、口の端に上ったことはない。
亡くなった家内と娘が偶然このさくら道を発見し、
二人はその後毎年訪れていて、人出もなくゆっくり花を楽しめる自慢の場所だったようだが、
父親はちょうどその時期は繁忙期のピークだったので、二人の報告もあまり聞いてはいなかった。
季節が春めいてくると、木々が芽吹くという命の営みを感ずることもなく、
「外仕事が少し楽になる」という仕事上の思いだけでずっと来た。
仕事が忙しすぎると人は大事なことを見逃すのかもしれない。
『花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ』
と中国の詩を訳したのは井伏鱒二だった。
気のおけない友人や身内の殆どが、勝手にさよならを言って向こうに行ってしまい、
何となく自分だけ取り残された思いもするが、まだこの世に存えているのは、
かれらの置き土産かもしれない。
もう少しあくせくしろと言うことか、少しはゆとりを持って季節の移り変わりでも楽しめということか。
久しぶりに寺山修二を拾い読みしていたら、井伏鱒二への反歌があった。
寺山修二らしくて思わず書き留めた。
『さよならだけが人生ならば建てた我が家はなんだろう
さみしいさみしい平原にともす灯りは何だろう
さよならだけが人生ならば
人生なんかいりません』
数日前からの雨と風でこのあたりの桜も散ってしまった。
来年はさくらを観るゆとりが生まれるだろうか?
(白磁瓢)