web悠果堂美術館通信(68)
新型コロナウィルス禍のため、長く作品のアップが中断していましたが、
6/15新規作品22点をアップしました。
新規掲載としては、万古焼の加賀月華の作品があります。
他の作品は、偶然ですが私の尊敬する作家や好きな作家の作品です。
鈴木三成、若尾利貞の「静岡陶芸美術館」の館友お二人を筆頭に、八木一夫、石黒宗麿、十代三輪休雪、伊藤翠壺といった物故の名工から、
高井進、室町勝廣、上瀧勝治、筒井廣明、若尾経、峯岸勢晃の注目作品をアップしています。
私個人はやきものの中でも「陶」すなわち土物が好みですが、「磁」の分野でも評価する作家は多く、
個人的好みだけでなく、磁器作品に対しても客観的な評価も出来ているかなとは思っています。
私の評価する作家は、総じてその作陶姿勢の真面目さが作品を通じてよく伝わってくる作家だと考えています。
どの世界でも同じことですが、物作りの世界もいいものを作れば評価されるというほど単純ではなさそうです。
そこでは当然、人気という要素が絡んだり、希少性や売り方の上手や下手という、作品それ自体の力とは関係のないものも、
ある場面では作品よりも重要なファクターになるのが現実です。
私があえて、人気や世評よりも作品それ自体に目を向けたいという立場に固執するのは、
アマの造り手としての自分の視野が(大した視野ではないが)あるからだと考えます。
私の場合、糧道として作陶を行っていない分、気に入ったものをすぐ真似して作り始めることができます。
これがアマチュア陶芸のメリットと考えています。
買い手もいないし生活に直結する営為でない分、好きなものを好きなだけ追いかけられるということです。
当然ながら、やってみると私の好きな作家たちの仕事(作品)が、実に複雑・丁寧な工程を経て生まれた、
非常に奥深い作品であることを知らされます。
その結果が、例えば亀水先生をはじめ、若尾利貞、鈴木三成各先生への評価になっています。
私から見ると人気の割にと大したことのない作品、
一時だけもてはやされその後消息を聞かなくなった作家や作品は枚挙に暇がありませんが、
私(達)が評価する作家は、時間の流れに消え去ることなく、その作品が作家の死後も佇立していくだろうと確信しています。
最近の陶芸界を見ると。芸人(タレント)の世界と似て「一発屋」が目立ちすぎで、
作品が消耗品のように軽く感じられ、10年先にこの作家は残っているだろうか?と不安を感じる傾向が強くあります。
こんな不安は私だけだろうか?
↓最近ずっと作り続けている花入れ
とにかく沢山作ろうとするから丁寧さに欠けるようだ。
いつもじっくり腰を据えてと思うのだが、
本業の方が優先だから少しの時間で作ろうとして慌てる分、ツメの甘さが目立つ。
焼いてからでは遅いけどね。