表現の自由(断片的に)
日韓関係の悪化を象徴するもののひとつに「慰安婦像」がある。
韓国内の日本大使館や領事館前に像が設置されたり、海外にも同じ像が設置されているニュースを見たことがある。
銅の彫刻のようでどれも似たようなものだから型があるのだろうと思ったが、
うかつにも、その原像(木彫?)があることまでは思いいたらなかった。
今回愛知トリエンナーレの「表現の不自由・その後」展にその木彫が展示され、展示をめぐって主催者に批判が殺到したニュースで、
初めてその原像を画面で見ることが出来た。
主催のテーマである「表現の不自由・その後」展は、政治家や一般市民、評論家、マスコミを巻き込んだ喧騒を巻き起こし、
主催者が像を撤去するという、皮肉を言えば「表現の不自由」そのままの<現実>を展示作品よりも見事に出現させ、
「表現の自由」が権力や社会から恣意的な規制を受けるという<現実>を証明した。
日韓関係が悪化していなければ、作者によって「平和の少女像」と名付けられたこの彫刻も、
純粋な芸術作品として美を体現した作品であるか、それとも感動を生むこともない作品なのか評価されたであろうが、
そうした芸術作品の本質的立場から鑑賞されることなく、私たちの目に触れる前に消えてしまった。
芸術作品は、作品そのものが持つ美の水準や力で評価されるべきという原理原則が、現実の場面では必ずしも通用するものではない。
それは、作品が誕生した途端にその作品が独り歩きする(させられる)という一面もあると思う。
作品として完成すれば、その評価は価格にも換算されるだろうし、作者の肩書や世評も付加され社会に出てゆく。
その後は作者のモチーフや制作過程の思いなども徐々に後衛に退き、作品だけが佇立する状態になるから、
芸術作品はどのような意図(善意でも悪意でも)でも利用が可能と極論できるかもしれない。
「平和の少女像」が「慰安婦像」として多数鋳造され政治的に利用されるのは、作品それ自体の評価にはかかわらないと思う。
「平和の少女像」と名付けられた彫刻作品の作家は、
慰安婦問題に関して日本からのお詫びもなく、その事実を認めないから怒りを込めてこの像を制作したらしいが、
モチーフは作品それ自体の評価とは原則的には別物だから、作品の背景に何があろうが、
その作品が作者のモチーフ(この場合は怒りということだろう)を繰り込み普遍的な美を獲得しえたか、
そうでないかで向き合うことが作品を評価する一番率直な方法だと思う。
作品の背景をどこまで評価に繰り入れるかという問題は、作品や時代によって大きく揺れ動くが、
鑑賞する立場から見れば、第一義には作品それ自体の芸術性(力)だと思う。
ピカソの名作「ゲルニカ」が、スペインの市民に対するフランコ政権の無差別爆撃に抗議して描かれたことは有名な話だが、
作者のモチーフを別にしても、「ゲルニカ」に芸術としての力が在るから評価されるのだろう。
残念ながら「平和の少女像」を見たことがないので彫刻作品としての評価は出来ない。
立体芸術が好きな私にしてみれば、ぜひとも「平和の少女像」を見てみたかった。
立体作品として美の力があるのか、単なる通俗的なもの(内なるモチーフを作品に昇華できていない)なのか、現物で鑑賞したかった。
高校生の時、国立西洋美術館で見たロダンの「地獄の門」の感動(というよりも恐怖感!)は今もって褪せていない。
箱根彫刻の森美術館で見た彫刻群、中でもジャコメッティーの作品は、その後の私の立体作品に対する評価の基準にすらなっているが、
「平和の少女像」がどれほどのインパクトをもたらすか現物を見たかったものだ。
やきものに関していえば、最近の作家たちが「未消化の自分(美意識)」を作品として発表することがよく見られる。
「未消化の自分」という言い方は私だけの感想だが、やきものの世界では特に茶碗にそれが目立つ気がする。
腕の冴えや品格を感じない自己主張ばかりが目立つ「未消化」な茶碗ほど、見ていてうんざりするものはない。
「作家は何時も、最新の作品が自分の最高傑作だと考える」とは志水辰夫だが、この気持ち(矜持)はよく分かる。
しかし、独りよがりの「未消化の自分」を見せつけられる側としては、結構うんざりするものだ。
この言で言えば、「平和の少女像」が「怒り」を「平和」にまで消化(昇華)してあることを願うばかりだ。
さて、
一連の騒動で「表現の自由」という言葉が多く語られたが、今回の件に限らず、私個人は昔から「表現の自由」ということ(権利)には違和感を感じていた。
「表現の自由」というとき、いつも私には「既得権として表現の自由」があるかという疑問(違和)がある。
「表現の自由を守れ」というスローガンに対して、現実にはありそうもないものを守れという奇妙さを感じ、
むしろ「表現の自由」は何時も恣意的に規制されることを前提に、表現を通じてその幅を獲得する永遠のテーマではないかという思いがある。
だから、どのような自己表現でもそれが本質的、普遍的であるほど周囲からの風圧は前提だと思っていたし、
あらゆる表現は時代や他者の価値という壁に突き当たりながら、その負荷と対峙し手に入れるというイメージがあった。
今もって「表現の自由」は、表現にかかわるものがその獲得を追い求める永遠のテーマだろうという思いが強い。
「僕が真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせる」という詩人の思い(妄想)が、私個人の表現行為の基底にはあるようだ。
「表現の自由」は憲法に保障された権利だ。
権利がこの国で生み出されるため、多くの国民が望まぬ死を強いられ、傷ついた戦争のすえに憲法に明記されたものだが、
この理念は戦争を体験した人々が、戦争に対する反省のもとに<肉声>として生み出したものでなく、
「民主主義国家」アメリカが、<理想>として持っていた理念を与えられたものと感じている。
既得権としての「表現の自由」が語られるときにいつも違和感を持つのは、太平洋戦争で310万人の死者を費やし、その結果国民自らが生み出した理念ではないと思うから(一部の知識人にはもちろんその理念はあったとは思う)、声高に「表現の自由」を口にするのに違和感を持つのかもしれない。
「戦争の放棄」は、310万人の死者とそれ以上の悲惨とを引き換えに生まれた率直な理念だから貴重なのだと思う。
310万人の死と引き換えに、唯一日本人が自前で手に入れた理念が「戦争の放棄」だと考えている。
人間の普遍的価値である、自由、平等、平和、人権などの理念は、憲法に明記されたか否かにかかわらず、
眼前に先験性としてあるのでなく、逆風にさらさられながら永遠に追い求め続けるテーマだと考えている。
表現は個人の観念の内では全くの自由を持つことが出来るが、その表現が外に向かう時、
言い換えれば、表現の<場>を確保しようとするとき、私たちは誰もが「自由」を制限される。
頭が考えることは誰も規制はできないが、それを文字や映像や芸術によって外に向かって表現すれば、程度の差こそあれ規制が生まれるだろう。
恣意的な規制は、社会的価値観であったり、個人の倫理であったり、理想や考えを異にする相手だったり様々だが、
「表現の自由」を関係の<場>で獲得しようとするには、表現の<場>を自力で確保する以外ないのではないかという考えが、
私には学生のころから妄執のように付きまとっている。
マルキ・ド・サドがバスティ-ユ監獄の中で書き綴った小説が、監獄の中(ほぼ個人の観念の中)では規制を受けなかったのに、
出版という<場>を確保した途端に発禁処分となった例などは、表現の<場>こそ規制を受ける例ではないかと思っている。
<場>の確保という思いは、「表現の自由」という概念が既得権としてあるのでなく、
その自由を確保するため、<場>を自力で確保する以外、自分が納得する「表現の自由」は獲得できないという思いだ。
<場>を確保することは基本的には自力になるから、誰もが自由に表現が出来る<場>を確保するために戦わざるを得ないのだろう。
下卑た物言いをすれば、「表現の不自由・その後」展の主催者は、
展覧会に当たり、多少でも「官」の金をもらえば「官」からの口出しがあると考えなかったのだろうか。
公費が投入されているから批判をするという首長もいた。
<場>を自前で確保しなかったから、政治家などから余計な口出しをされたのだろうし、
反韓感情にすぐ便乗する悪質市民の脅しにも対応が出来なかったのだろう。
「表現の不自由・その後」という、どう見ても横やりが入りそうなテーマを掲げた主催者は、
逆風や感情をむき出しにするネット社会の荒廃を表現行為の前提として考えなかったのかとも思う。
「汝、尾をふらざるか」(谷川雁)は、表現に向かう者の矜持、自戒として、
誰に対しても尻尾を振らないことが表現の自由を手に入れる前提だと肝に銘じておく必要があると思っている。
日本国憲法は占領軍に押し付けられた憲法だから改正が必要だ、という立場からの意見を私は全く信用しない。
占領軍と憲法草案で渡り合った白洲次郎の本を読むと、
占領軍との厳しい交渉過程で「合いの子(混血児)」(合いの子は今では差別用語らしい?)が出来たと書いてあった。
「合いの子」だろうが、自分の子に違いはなかろうと私自身は考える。
押しつけか自主制定かは本質でなく、国家の最高位にある理念としての憲法に普遍性があるかどうかだろう。
出自がどうであれ、いまの憲法が国家の理想を示せているか否かの評価が必要だと思う。
↓丸壺
荒い土と薪窯という組み合わせだが、
なぜこんな黒色になったか分からない。
花が似合うだろうか。