建前
生来シニカルな性格で、他人を冷笑する癖がある。
おそらく、母のDNAを受け継いだものと思うが、
あまり努力もせず、努力の結果としての実力もないのに、
年を重ねただけで偶然手に入れた椅子(権力)を自分の能力と錯覚し、
(実際、この手の人間がこの社会にはとてつもなく多いと思う)
偉そうに振る舞う輩に会うと、俄然シニカルな血が沸騰するようだ。
つい言わなくても良い皮肉やミスを暴いてしまう。
この手の人間を相手にすると、あえて波風を立てようとするから商売上もマイナスを生み出してしまう。
私自身は格別、言い掛かりや的外れな批判をしているとも思ってはいないから、
相手にしてみると自分をおちょくっている、批判していると思うらしく、(事実そうなのだが・・)
生意気な人間に見えるらしい。
私の中に「反骨精神」や「反権力意識」とやらがあるわけでもなく、
「このまま引き下がるのは癪だから少し反撃を」位の思いしかないのだが、
結果どうも敵を作るようだ。
(私自身大した力があるわけでないから、所詮こうした対応も「蟷螂の斧」と思っている)
仕事上でも、椅子(権力)をカサにきて自分では出来ないことを平然と人に求め、
自分の守備範囲を一歩も出ようとしない輩にはついつい露骨な言葉などを吐く。
私が口にする言葉は、
「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせる
という妄想によって
ぼくは廃人であるそうだ」
吉本隆明 「廃人の唄』
というほど高尚な真実ではないから、詩人のように廃人扱いされることもないが、
少し変わった奴とは思われているようだ。
世に棲んで60数年になると、社会という道を安全運転で通過するには、
あらゆる場面で「建前」を連発すれば無用の軋轢(事故)をひきおこさないということは
十二分に学んでいる。
だが「建前」に終始する場面には、真実のかけらもなく、当然面白味もない。
責任回避に「建前」は有効だが。言葉を吐くときの小さな勇気も必要ない。
現代は「建前」全盛の時代だが、
建前を言うこともまた聞くことも私自身好きではない。
だから、私のような小市民が日々感じている
プチ権力者やその取り巻きの「本当らしい嘘」や
身勝手なプチ権力行使には本音で対峙していこうと思っている。
多少の軋轢も承知で引き受ければいい。
どんなに追い詰められても、
「まことに遺憾に思います」という言葉だけは吐かないでいたい。
(ゆのみ)