身の丈を知る
昔からあきらめが早い方だった。
だから困難にくじけず、何度も挑戦する人の話や姿にはよく感動した。
だが何時頃からか、「変えようとする」よりも「受け入れる」傾向が強くなって来ている。
こうした傾向は決していいとも思わないが、一方では「それが人の自然(老い)な流れ」と思う自分がいる。
年齢的に「立派な大人」になってガツガツするのも嫌だし、
出来れば太宰治が『右大臣実朝』で描いたような、
何事も見通していながら黙って流れに身を任すような生き方に憧れている。
小ながら会社の経営者としては、これでは失格だ。
経営者の必須条件の一つとして、「貪欲に仕事や利益を追う姿勢」は当たり前だと思う。
しかし、どうも「貪欲に」ということが最近できなくなってきた。
また人付き合いが面倒になり、特に生き方や価値観で学ぶことのない人との付き合いは、
なるべく避けたいという傾向が強い。
もっとも、学ぶところ豊かな人は、太宰曰く「そういう人は私とは遊んではくれない」かもしれないが・・。
仕事(金)と人間が何より好きでないと経営者は成長、成功しないと思うが、
仕事以外で豊かさのない人間との付き合いもどうも面白味がない。
私が好きな村田亀水先生の一言。
「御免こうむります」
どうやら私も自分の身の丈が見え始め、自分に合ったラストランをかんがえる歳になったようだ。
だが、具体性はというとなかなかイメージが湧かない。
「この秋は雨か嵐か知らねども、今日の務めの田草取るなり」
この歌を若い頃は、百姓の365日変わらぬ姿をを風刺した狂歌と思っていたが、
実は人の普遍的な生き様を教える歌だと今では思っている。
特別な一日を夢想するより、昨日と同じ今日を実直にということかな。
月曜から夜間作業が続いて頭が冴えず、まとまりのない独白になった。
((焼き締め銅鑼鉢)