金もなけれど(ば)死にたくもなし

お知らせ

六無斎(林子平)の嘆き。
「親もなし 妻なし子なし版木なし 金もなけれど(ば)死にたくもなし」
激烈な生き方は、常にまわりから忌避され、時に弾圧すらされる。

林子平の生き様は、単なる傍観者の私にもその憤怒が伝わってくるようだ。
私たちが「権力」といわれるシステムと対峙する時は、殆どの場合「個」として向き合わざるを得ないが、

一般的には、このシステムに勝利することは絶望的だ。

この対峙する姿を『蟷螂の斧』と見るか、『やむにやまれぬ大和魂』(吉田松陰)と見るかは、その見方によって人間性に大きな差が出るような気がする。

したり顔で『蟷螂の斧』などという人間とは、あまり付き合いたくもない。
自ら彫った膨大な量の版木を没収され発禁処分となった『海国兵談』の著者・林子平の嘆きは、しかし「金もなけれど死にたくもなし」の下句でその認識が、諦観から達観に至ったようにも思える。

だから、この嘆き節がなんとなく微笑ましい感じがする。

微笑ましいというと、ちょっと浅はかな理解で傲慢かとも思うが、「諦める」若しくは「受け入れる」ことによって心が別の場所に移り、心の波も穏やかになるという認識が最近はよくある。

年を重ねたからかもしれないが・・。

 

金のない不自由を60数年味わってきたが、まだ死にたくもない。

気の合う友人の多くが向こうに行ってしまい、あまり人付き合いが多くもない私だが、金の便利さ(まったくいつの時代も金が一番便利なものだ)を存分に味わってから死にたいものだ。

金へのこの片思いが何時になったら実を結ぶのだろう。

 

 

(灰釉薔薇花瓶)

写真HP更新用 037