web悠果堂美術館通信(28)

Web 悠果堂通信

本日(2/23)新規作品36点をアップしました。

暮から年度末の3月にかけては公私ともに忙しく、2ヶ月ほど休業状態が続きましたがようやく新規作品を掲載できました。

 

 

今回アップした作品のうち清水卯一「蓬莱磁 壺」は、おそらく卯一さんが作った多くの壺類の中でも超大作になります。

写真ではどうしてもその迫力が減じますが、いつの日か清水卯一ファンの皆様に現物を披露したいと願っております。

また新規の作家としては、瀧田項一、13代横石嘉助、日幡光顕、加藤孝造(人間国宝)、中尾恭純、峯岸勢晃などがあります。

是非とも御高覧下さい。

尚「母豚」と名付けて「中国古陶磁」に分類した作品は、そのリアルさが怖いほどの作品ですが、はたして中国ものなのか、

それとも和物なのかは現時点では判りません。

どなたか情報をお持ちであればご教授ください。

 

 

今回のアップで掲載数が1200点を超えました。

さて、明治以降の日本の陶芸は、近代国家建設の過程で一挙に流入した西洋美術(思想)の強い影響のもと、

陶芸(当時は「陶芸」という言葉もなかったのだが)も専門職の分業という流れから、個人の創作活動という流れに転換し、

「作家」や「芸術」という概念が成立したものと思います。

このサイトでは、明治以降の個人の創作活動の結果としての作品を網羅したいと考え、蒐集とアップを続けてきました。

 

 

『web 悠果堂美術館』には、所謂「美術館アイテム」と称されるような国宝級や重文、重美の作品は全くありません。

多くの美術館がそれらを目玉にして運営していますが、私の現実ではそうした作品の蒐集は当然不可能です。

むしろ多くの美術館が手掛けてこなかった、歴史の流れの中で後衛に退けられた作品や、

いい作品を生み出しながら、殆んど無名のままだった作家や陶工に光を当てたいと考えています。

 

 

近代100年余の流れの中で、当然世に残る作品もあれば忘れられた作品もありますが、

個人的には、こうした現実も単に「偶然が大きく作用した結果」に過ぎないと考えています。

「歴史」という複雑怪奇な時間の流れは、時にどうでもいいようなつまらないものを表舞台に押し上げ、

逆にスポットライトを浴びるべきものを闇に放り込みます。(やきものに限らず、ひとも世の中の出来事も同じですが。)

そうした事実を、少なくともやきものの世界においては<良>とすべきではないというのが私の思いです。

 

 

何故こんなにも優れた作家や作品が、殆ど無名のまま歴史の闇に埋もれてしまうのかという、

やきものファンとしての忸怩たる思いは、常に私に付きまとうものでした。

だから有名無名にかかわらず、単純に作品として「いいものはいい」という

当たり前の立ち位置で審美の目と心を養い、これからもいい作品をアップしたいと考えています。

 

 

このサイトの作品が、現在の陶芸シーン全体を俯瞰でき、

そこに至る「過去の成果」と未来が垣間見ることができるサイトになればと高望みをしておりますが、

当然道遥かで、いつも手元不如意で秀逸作品を見送る辛さ、無念さに歯ぎしりしています。

くどいようですが、このサイトの一番のコンセプトは、もっと評価され、その作品が広く認知されるべき作家(作品)に小さいながらも光を当てることにあります。

世界で一番やきものを愛する日本人の美意識や感性に響く作品が、小さな負の偶然の連鎖で人々から忘れ去られるという無念は、

やきものファンの私としても耐えられません。

 

 

死後20年を経て、他国の人によりその美が発見され、その結果日本人に広く認知された『澤田痴陶人』のことは以前この通信にも書きましたが、

もう二度と「灯台下暗し」のような情けなさは、ファンとして御免こうむりたいものです。

だから歴史の奥に眠っている日本のやきものの美を、ひとつでも多く発掘できればと思っています。

「蟷螂の斧」のような私の挑戦に各位のご理解、ご支援、ご協力を願ってやみません。

 

 

↓蕎麦釉花入など

まあこんなものだろう。

この釉薬に合う土と焼成パターンは何とか掴めたが、

この薬に合う形がまだ見つからない。

緑系の釉薬は花に合うのだろうか。