お知らせ

実家の納屋を改装し、中型電気窯を置き釉薬ものが焼ける工房にしてある。

ここには窯のほか常圧と真空の土練機を置き土作りもしているのだが、もとが父の車庫だったので工房にアレンジするまでに結構な出費があった。

全面開放の入り口に4枚のアルミの引違戸を設置したりして、何とか工房らしく整えた。

 

 

休日は土作りや釉薬掛けが落ち着いてできるので、痛い出費も元が取れたと思っていたのだが、

5月20日頃に工房の蛍光灯の傘に燕が巣作りを始めた。

この燕共は結構自己中心的で、蛍光灯の横に父が巣作りがしやすいよう棚を作ってあったのだが、

どういう訳かそこには巣をつくらず、不安定な蛍光灯の傘の上に作った。

巣としては大きなものでなく、ヒナがかえったらきっと落ちてしまうような形と大きさだ。

馬鹿なところに作るものだと呆れたが、燕の勝手といえば勝手だろう。

よく燕のヒナが巣から落ちて死ぬ話を聞くが、巣が小さくてこのままではおそらく落ちてしまうと思う。

不思議なことに巣作りはツガイでやるのかと思っていたら、3羽でやっていた。

多分、オスが2羽でメスが1羽だろう。

燕には燕の事情があるのだろうが、当然私に事情は分からない。

 

 

燕が工房に出入りし始めたのは、丁度ナナが重傷を負って行方知れずになった頃だった。

ナナはよく工房に出入りしていたので、入り口の戸を1枚だけ半開きにしておいたのだが、そこから出入りして巣作りを始めたようだ。

「燕が来るといいことがある」と知人から言われたこともあり、ナナが無事帰ってくることを願って燕のするがままにさせた。

その後、瀕死のナナが戻ったのでこれが燕の恩恵と思ったが、どうもこの燕は性格が悪い。

 

 

工房入り口をいつも開けたままという訳にもいかないので、窓を全開にしてそこを出入り口にしてやったのだが、

当然雨風が吹き込み、特につらいのは外のホコリが入ることだ。

土や釉薬にホコリが付着すると焼成の時に黒点になるから、白磁や青瓷にとっては致命的欠点になる。

それを承知で24時間窓を全開にしてやっているにもかかわらず、私の姿を見るとすぐに巣を離れるし、

どうも子育てをネグレクトしているようで、巣の中に親の姿が見えない時が多い。

床やテーブルの上に巣の土を落としたりもするし、何より蛍光灯を点灯できないので、

仕事が終わった後の夜の道楽が全くできない。

 

 

先日、あまりにも恩知らずな燕に腹が立ち、入り口の戸を全開して常圧土練機で土を作り始めたら、しおらしく卵を抱いてじっとしていた。

こちらにすれば真空土練機ではコンプレッサーの音が大きいので、静かな常圧機を使ってやったのだが、その気配りを理解したかどうか。

おかげで久しぶりに粘土の空気を抜く「菊練り」をして腰を痛めた。

左様に気を配って接しているのに、相変わらず私の顔(姿)を見ると窓から逃げるし、よく親ツバメが2~3羽で空を飛んでいる。

オメエラ、いちゃつく前に子育てを真面目にやれと腹立たしくなる。

人間社会でも子育て放棄がニュースになるが、動物界もそうしたことが起き始めているのだろうか?

ちなみに、向かいの家の車庫の蛍光灯の傘にも巣作りを始めたが、向かいのうちは旦那が撤去したようだ。

巣立つまで、工房を使えぬ不便さや軽い苛立ちを感じることが続くだろうが、せめてヒナを落下させずに巣立ってほしいと思う。

ナナの生還へのお礼と思って後しばらくは我慢の日々が続く。

 

 

昨日(7/3)電気窯の上に大人の親指ほどの少し羽毛のあるピンク色のものがあった。

時期外れだがアザミの花のように見えたので、風に乗って窓から何かの花が入り込んだと思ったが燕のヒナだった。

まだ生きていたから嫌なものに遭遇したと思ったが、放置も出来ずゴム手をして脚立に上り巣に戻した。

人間のにおいが着いたヒナは育てない、と聞いた記憶があったのでゴム手をしたのだが・・。

巣に戻すと暫くして親が餌をくれていたから事なきを得たが、このヒナは自分から落ちたのではなく、

3羽の親が親権を巡って争い、うち1羽が強引に咥えて連れ去ろうとし、巣から離れた電気窯の上に落としたようだ。

燕共の争いにまで巻き込まれるのも私らしいが、ヒナを連れ去ろうとした1羽が諦めてくれることを願っている。

まったく面倒なことばかり続くものだ。早く巣立ちしてほしい!

 

 

 

桧垣文蹲(うずくまる)壺

いにしえの茶人は、農民が種壺として使っていた信楽焼のこの形の壺が「人が蹲った姿」を思わせるとして、

「蹲壺」と名付け茶室の花入に用いた。

この形の壺は大好きだが、美意識や感性の鈍い私にはどうしても「人が蹲った姿」に見えないから、

美意識も感性も400年ほど前の人々に劣るということになる。

 

当時の壺は写真の私のものとは異なり、まったく作意が無く機能性のみの形といえる。

腰のカーブも垂直に近いし首ももう少し太い上に、現存するものはほとんどが酸化焼成で緋色の発色が美しく、

肌も枯れた感じのものが多い。

またどういう訳か、室町、桃山時代の桧垣文はもっと稚拙な線で描かれ、私のもののような作意がない。

 

焼き締め陶をやる人間にとって、室町、桃山の「蹲壺」は頂きの見えない山頂のように常にそびえ立っているのだが、

意識的に作る分だけいにしえの茶人が見立てたさりげない美しさが出せない。

居直って、平成の「蹲」を作ればいいと良くこの形を挽くのだが、作り手として納得するものは出来ない。

信楽や伊賀の作家の蹲壺も良く目にするが、どうも作意が強すぎて昔のものほど感動はしない。

 

口の掛けたものは4回ほど、ふたつ写っているものも2回ほど焼いたが出来が良くない。

ツノのある作品は少しだけ気に入った瑠璃色が出たが、相変わらず口が大き過ぎるような気がする。

自分で作って自分で批評というのも変なものだが。

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