老い

お知らせ

この国では65歳以上を「高齢者」と分類するそうだ。

官僚たちがこの国を管理、運営するための政策に必要な資料として、

日本人の年齢分布を勝手に括っているだけだが、来年「高齢者」に繰り込まれる私からすると、

望まぬレッテルを張られる不快感が強く、大きなお世話、勝手な分類と思うだけだ。

『マイナンバー』という息が詰まるシステム(なぜこういった制度まで英語のカタカナ表記なのだ!)も始まるが、

息苦しい(生き苦しい)社会に向かって加速する先に、この国や社会のどのような姿を描いているのだろう。

 

 

 

この国が「高齢者」に優しければ「高齢者」も望むところだが、そうじゃないのは誰でも知っている。

64歳の私の今の立場を何と呼ぶか知らないが、来年「高齢者」に分類されたら何かが変わるのだろうか。

何も変わりはしないと思うが、レッテルがじわじわと老いを自覚させるかもしれないし、

何時破綻するか判らない年金を「杖」に、あくせく生きることは一生続くのだろう。

ふと「豊かな老後」など夢見ぬ方が強く生きられるかもしれないと思う。

 

 

たまたまニュースで「高齢者」の犯罪率が平成元年に比べ約7倍に増え、検挙率も全体の17パーセントになると聞いた。

他の年代の犯罪が減少傾向にあるのに比べ、「高齢者」の犯罪だけが増えているそうだ。

中でも暴力行為と万引きが圧倒的らしい。「キレる老人」と「将来(お金)に不安を持つ老人」が多くなったということだろう。

こうした現象を数字を挙げて実証されると「高齢者」としてはたまったものではない。

「高齢者」であることが何か問題でもあるのか、とケツをまくりたくなるのは私だけではなかろう。

 

 

激しい競争社会の負のしわ寄せが本来ゆったりと老後を送るべき「高齢者」と、社会に出る前の「子供」に集中しているから、

「高齢者」の犯罪も増えるし、「子供」のこころは満身創痍なのだ。

そして社会全体が幼児化しているから、「高齢者」は身体は老いてもこころはどこかで幼児性を引きずったままなのだろう。

そこを外して「高齢者」の犯罪の増加をあげつらっても意味は無い。

 

 

自分が老いの階段を徐々に下り始めて感じることは、老いの辛さは身体的にもいろいろあるが、

何よりもわが身に生じた困難な問題を若い時ほど客観的、冷静に把握できない精神状態に陥ることだ。

父が老いていく過程で、仕事で発生した小さなトラブルを予想外に深刻に捉え、戸惑うを姿を見たことがある。

会社の実権は既に私の掌にあり、私にとってはよくあるトラブルのひとつに過ぎないものが、父にはどうもそうではなく映っていたようだ。

かつて自分が遭遇したトラブルと同じようなトラブル。

かつて自分が乗り越えたトラブルと同じようなトラブル。

その「克服体験」すら忘れてしまったように戸惑い、不安がる父の姿に老いを感じたものだ。

これを機に経営上の問題は父には告げないようにしたが、父の姿に老いの本質を見た気がした。

 

 

父が身をもって見せた老いの姿(精神的な弱気、恐れなどが勝手に肥大化する)は、私にとって大きな教訓となっている。

だから身の回りで惹起する出来事も客観的、冷静に見ればそれほど大したことはないと考えるよう努めている。

もちろん客観的、冷静に見る力も徐々には衰えるが・・。

少なくとも、生命を取られるほどのトラブルなど、基本的には小市民の身には起きようがない。

時代小説のように、生命と引き換えに解決しなければならないトラブルを考えても、

今の私にはなかなか思い浮かばないから、きっと現代の私達の人生はそのように出来ているのかもしれない。

そう考えると、大したことではない出来事で思い煩うことが、逆に老いを加速させるのかもしれない。

 

 

長年長女と同居しながらも折り合いが良くなかった老婦人から、隣の市の次女のもとに身を寄せるという連絡を頂いた。

父母もお世話になった方なので挨拶に伺ったが、次女の元へ「年金とまだ家事が手伝える身体」を「担保」に世話になるという。

もちろん親子の情愛もあろうが、現実的に見たら「高齢者」の担保はそんなものだけかもしれない。

子から親への情愛は、親から子へのそれよりも希薄になっている時代と言ったら言い過ぎだろうか。

それとも、情愛以前に子には親をかまっている余裕がない時代になったのだろうか。

愛情という見えない力よりも、年金とまだ少しは動ける身体を「杖」に次女を頼る婦人の心中はどうなのだろう。

 

 

「長女との間に時間と距離をおけば、またお互いに気持ちが変るかもしれませんよ」という私の言葉に頷いたが、

「みんな自分のことしか関心がなく、自分だけで手一杯だからどうでしょうね」との返事。

『人情紙風船」は昔の話で、今は「親子の情は煙草の煙」ほど儚い。

若い時に一生懸命働き、働いた分だけ老いにソフトランディングできるという一般的なイメージは、

この国では幻以外の何物でもない。

今更何がこんな社会にしたと言っても仕方がないが、

来年「高齢者」に括られたら「暴走老人」になって狂い咲き、「老いの徒花」を咲かせようと思う。

 

 

窯変米色青瓷花生(一部酸化で一部は還元の色が出た)

写真HP更新用 031